パワハラ「ビッグモーター前副社長」に欠如していたこと 年1000人の経営者を取材する男が語る「優れた2代目経営者」との比較

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 部下に「死刑死刑死刑」「教育教育教育」と呪詛のように書き連ねたLINEを送り、降格人事を連発した2代目が、明るいキャラクターだとは到底思えない。

「2代目社長なら誰しも内心では『父を超えたい』と考えています。その結果、父親の業績を全否定してしまう子供もいますが、会社を根幹から否定しては駄目です。求められるのは、父親とは異なるスタイルです。その代表例として、1983年に2代目としてオカモトの社長に就任した岡本多計彦さん(82)を挙げたいと思います」(同・村田氏)

 化成品メーカーのオカモトは1932年、岡本巳之助氏(1909~1985)が創業。避妊具のメーカーとして世界的な知名度を誇るが、優れた技術力でビニールハウス用のフィルムや各種テープを製造するなど、事業の裾野は広い。中でも乗用車に使われるプラスチック表皮材は高い評価を受けている。

 息子の多計彦氏は慶応大学を卒業すると父の会社に入社し、1983年に社長に就任した。

「初代の巳之助さんはオーナー企業のメリットを体現したような人でした。決断が早く、指示も迅速。スピード感のある経営手腕は抜群でした。一方、多計彦さんは社長になると、社員の裁量を増やしたのです。例えば、工場を建設した時のことです。巳之助さんなら設計から全て自分で決めたでしょう。ところが多計彦さんは工場の建設を決定し、場所だけは選びましたが、その後は社内に建設委員会を作り、4人の社員を指名したのです」(同・村田氏)

父子に求められる資質

 4人の社員が製造ラインや更衣室、食堂といった設計だけでなく、内装もデザインも何もかも決める。社長である多計彦氏は口を挟まない。

 おまけに多計彦氏は「一般的に会社は仕事ができる社員が2割、普通が6割と言われます。今回の4人は全部、普通のグループから選びました」と村田氏に明かしたという。

「『なぜですか?』と質問すると、『仕事ができる2割は、急にライバルたる4人が出現して発奮するでしょう。普通の6割は「俺たちも頑張れば大きな仕事が与えられる」と燃えます。社員の8割が盛り上がるのですから、社内は絶対に活性化します』という回答で、なるほどと感心しました。父親とは異なるリーダーシップを発揮する、これこそ優れた2代目だと思います」(同・村田氏)

 父親が世襲を選ばなかったこともある。最も有名なのはホンダを創業した本田宗一郎氏(1906~1991)だろう。「会社は個人の持ち物ではない」という有名な言葉があり、子供は入社すら許されなかった。

「父子共に優れた人物でなければ、事業継承は失敗します。父親は子供を『わが社のトップに相応しいのか?』と冷静な目で判断することが求められます。子供は『父の強みはここで、父の弱点はここだ』と、父親を一人の経営者として冷静に評価することが求められます。父親を全否定せず、父親の業績は継承に励み、弱点や欠点を補完するように心がけている2代目は、やはり成功を収めています」(同・村田氏)

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