パワハラ「ビッグモーター前副社長」に欠如していたこと 年1000人の経営者を取材する男が語る「優れた2代目経営者」との比較

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ケースバイケース

 ビッグモーターのパワハラ事例を思い出した方は多いだろう。毅氏の横暴に東映の労組も反旗を鮮明にし、社内は収拾がつかなくなった。そこで、当時、東急の社長だった五島昇氏(1916~1989)が仲介に入り、東映のプロパーで任侠映画など数々のヒット作をプロデュースしてきた岡田茂氏(1924~2011)を2代目社長に指名した。

「岡田さんは京都と東京の撮影所で所長を務めるなど、文字通り映画制作のプロ中のプロでした。東大の経済学部出身だったので、財界主流の経営者にも知り合いが多い。一方、当時の興行界は暴力団が仕切っていたこともあり、三代目山口組組長の田岡一雄氏(1913~1981)を筆頭に全国の組長と腹を割って話し合いができるほどの胆力の持ち主でした」(同・村田氏)

 田岡氏は昭和の大スター・美空ひばり(1937~1989)の“後見人”としても知られる。ある日、ひばりの出演映画について協議していたところ、配役紹介の順番が話題になった。田岡氏は岡田氏に「お嬢をトップにしてくれるんやろうな」と“質問”したという。

 すると岡田氏は「萬屋錦之介(当時は中村錦之助=1932~1997)がトップの時は錦之助がトップですわ。何事もケースバイケースでやらなアカンでしょう」と直言。その度胸に田岡氏が惚れ込んだという逸話はよく知られている。

明るい性格

 その岡田氏の長男が裕介氏(1949~2020)だ。裕介氏は都立日比谷高校から慶応大学商学部に進学。在学中にテレビプロデューサーからスカウトされ、父親の了解を得て俳優としてデビューした。

 1988年に東映に入社。2002年に東映の社長に就任した。当時のメディアは「創業家でもない父と子が同じ会社の社長に就任した例は非常に珍しい」と報じた。

「初代社長は倒産のリスクなど考えもせずに事業の拡大に注力するものです。岡田茂さんは初代のオーナー社長ではありませんが、似た性格の持ち主でした。映画制作に全身全霊を捧げ、数多くの名作やヒット作を放ちました。一方の裕介さんは『父親がやってこなかったこと』を見つけ、丁寧な仕事を積み重ねました。例えば、映画館のシネコン化です。裕介さんは2000年に子会社ティ・ジョイを設立し、東映系のシネコンを整備。他にも東映アニメーションを大切にしました。その経営判断が正しかったのは、『THE FIRST SLAM DUNK』の大ヒットなどでも明らかでしょう」(同・村田氏)

 村田氏が何よりも強調したいのは「裕介氏の誰からも愛された人柄」だという。

「裕介さんはお酒が飲めないのですが、宴席に出席すると誰よりも座持ちがいいんです。話は面白いし、立派な人柄の持ち主であることが伝わってくる。東映の社員は裕介さんを本当に慕っていたので、2020年の急死は本当に残念でした。成功した2代目社長の共通点として、裕介さんのような明るい人柄が挙げられると思います。開放的な性格でないと、部下はついてきません。暗くて陰湿な2代目社長を好きな社員などいないでしょう」

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