パワハラ「ビッグモーター前副社長」に欠如していたこと 年1000人の経営者を取材する男が語る「優れた2代目経営者」との比較

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「陰湿」という言葉からは罵倒LINE、「卑怯者」からは父親に会見を任せて自分は欠席したことを思い浮かべた人も多いだろう。

 SNSでは「2代目社長が会社を潰す」と指摘する投稿が目立つ。実際にビッグモーターの業績は急速に悪化しており、倒産の可能性を指摘する専門家もいる。パワハラと保険金詐取の果てに、父親が創業した会社を倒産寸前に追い込む──これほど酷い2代目が過去にいただろうか?

「財界」の主幹を務める村田博文氏は、これまで50年にわたって、少ない時でも1日に2人、多い時には4人、延べにすると万単位の経営者を取材してきた。そんな村田氏に2代目社長の“共通点”について訊いた。

「2代目社長と言っても色んな方がいるわけですが、一番の共通点は強いプレッシャーを毎日のように感じていることでしょう。ただでさえ“バカ息子”とか“世間知らずのボンボン”と悪口を言われているわけです。『子供である自分が、親の会社を倒産させたら大変なことになる』という恐怖心は相当なものがあります」

 親から子への事業継承が上手くいく場合と失敗する場合では何が違うのだろうか。村田氏は「事業継承の話が異なる親子で2回浮上し、失敗と成功という対照的な結果に終わった珍しい企業が映画会社の東映です」と言う。

ジュニアのパワハラ

 1938年に私鉄大手の東急(当時は東京横浜電鉄)が設立した東横映画は、映画館の経営から映画制作に乗り出したものの慢性的な赤字体質だった。そこで1951年に同社を含む3社を統合して東映を発足させ、経営再建のため東急の副社長だった大川博氏(1896~1971)が初代社長に就任した。

 大川氏が徹底した予算管理と合理化を推し進めるうち、51年にサンフランシスコ講和条約が成立。GHQによる「封建的な時代劇映画の制作禁止」は解除され、時代劇スターを抱えていた東映はヒット作を連発、映画業界ナンバーワンに躍り出た。

 70年代になると映画業界は斜陽化を迎えた。東映は依然として業界トップを維持していたが、不動産事業やホテル経営など多角化も進めていた。そんな中、大川氏の長男である毅氏(79)がボウリング事業で巨額の利益を計上し、1965年に東映の取締役に就任する。

 この人事をきっかけに東映は大混乱に陥るのだが、その様子を春日太一氏の著書「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」(文春文庫)から紹介しよう。

《少しでも業績の悪い事業所、特にそこの管理部長や管理課長は徹底的に槍玉にあげられ、他の社員たちの面前で「会社を毒する無能社員」と罵ったり、陰でいびったりと、身の置き所をなくさせていった》

《本社や各地方の事業所では、退社していく社員たちが相次いだ。大川ジュニアと社員たちとの間に立たされた本社幹部たちは昼からヤケ酒をあおり、次々と体を崩していった》

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