落合監督の凄み、野村監督から認められたと感じた瞬間…名手・辻発彦氏が見た名将・知将の実像

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もう一度、指導者に?

 こうした名監督の薫陶を受けてきた辻氏。2017年、埼玉西武ライオンズの監督に就任した際、多くの西武ファンはこう予想していた。

「1点を取り、それを守る。黄金時代の西武野球が戻ってくる」

 しかし、そうではなく、辻監督の2年目のシーズンとなる2018年の西武は「山賊打線」と称された、ファーストストライクを積極的に狙っていくチームを作り上げた。

「よく言われるんですけどね、そりゃあの時代のようにできるんだったらそうしたいですよ(笑)。でも、そう簡単にはいかないのがプロの世界です。個々の選手をよく見て考えるしかない。このチームを勝たせるにはどうするのか、誰をレギュラーにするのか。源田壮亮を抜擢したのもその流れですし、山川穂高も外崎修汰も必死に練習してレギュラーの座をつかみ取りました。それがうまくいったということです」

 これまで書いてきたように、広岡、森、落合、野村――名将・智将と呼ばれる監督たちのもとで野球を学んだ辻氏だが、目標あるいはモデルとした監督はいないという。

「確かに素晴らしい監督のもとで野球を学べました。ある程度、ヒントになることもありましたけど、この監督のように、というのはなかったです。選手やスタッフとは、同じチームで戦う仲間として、きちんと付き合いたいと思っていました。辻流? いや、そんな大それたものではないです。選手にどう接したらいいのか、どういう言葉を掛けたらいいのか。これは一般の会社でもそうでしょうけど、これが正解というのはないと思います。人それぞれ性格が違うし。ただ、経験から言えるのは、若い時、先輩や上司に言われた言葉を素直に聞けるかどうかはとても大事だと思います。僕のようにまったく大したことのなかった選手が、それなりの成績を残して監督までできたのは、指導者の方々に言われた言葉を素直に聞いて、愚直に野球に取り組んだからです」

 辻氏は今も、時間があれば1日に6キロは走っているという。スタイルも現役時代からそう変わっていない印象だ。

「監督時代は、早めに球場に着くと、多摩湖の辺りを走るのが日課でした。趣味みたいなものですけど、いくつになってもユニフォームが似合う野球人でいたいんです。なんか格好悪く見えるのは嫌なんです」

 ということは、この先、指導者として復活することもあるのか?

「いやいや、もう年齢もいってますし、今はですけど(笑)」

 さて、古巣の西武だが、今シーズンは松井稼頭央新監督のもと新しくスタートを切ったが、今のところ苦しい戦いを強いられている。

「開幕からキャプテンの源田を欠きました。森(友哉)がFAで抜けて戦力的には非常に苦しい戦いだと思います。ただ、こういう時期は若い選手が一本立ちするシーズンでもあります。選手を育てるには我慢も必要。松井監督には試練の年になると思いますが、まだ1年目ですから、ファンの皆さんも応援してあげてください」
(一部敬称略)

辻発彦(つじ・はつひこ)
1958年10月24日生まれ。佐賀県出身。83年、日本通運からドラフト2位で西武ライオンズに入団。黄金時代の西武を支えた名二塁手としてゴールデングラブ賞8回、ベストナイン5回、93年には首位打者を獲得。96年にヤクルトスワローズに移籍し、99年に引退。その後、ヤクルト、横浜ベイスターズのコーチを経て、2006年、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表コーチとして世界一に。07~11年と14~16年に中日ドラゴンズの二軍監督とコーチを務め、17年から埼玉西武ライオンズ監督。18年と19年にリーグ優勝。22年限りで退任。

デイリー新潮編集部

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