落合監督の凄み、野村監督から認められたと感じた瞬間…名手・辻発彦氏が見た名将・知将の実像

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「うちは君のあのバックホームで負けたよ」

「おい、5番」

 辻氏が西武に入団して1年目の1984年、米国アリゾナ州メサ・キャンプでの打撃練習中、背後から声を掛けられた。振り向くとそこにいたのは解説者だった野村氏。手のひらで「あっちへ行け」という仕草をする。同じく練習中で、当時、西武が売り出し中だった秋山幸二を見たいのに、辻氏がいると見えづらかったのか、名前も知らない選手を背番号で呼んだのである。

 それから11年後の95年、西武を自由契約となりヤクルトへの移籍が決まったため野村監督(当時)に挨拶に行くと、こう言われたという。

「辻君、うちは君のあのバックホームで負けたよ」

 それは「史上最高の日本シリーズ」と言われる1992年の西武対ヤクルト第7戦、7回裏のヤクルトの攻撃場面である。3勝3敗で迎えたこの試合、西武・石井丈裕、ヤクルト・岡林洋一の両先発が好投し、1対1の同点のまま迎えた7回裏、ヤクルトは一死満塁のチャンスを作り、代打に杉浦享を送り込んだ。杉浦は第1戦で代打サヨナラ満塁ホームランを打っている。神宮球場は異様な雰囲気に包まれる。

「1点もやれない場面です。あの時に考えていたのは、杉浦さんは左だし、自分のところにどんなボールが来手も必ず捕って、バックホームすること。それだけです」

 果たして、杉浦の当たりは一・二塁間へ。

「バットが折れましたからね、打球は弱かった。もっと全力でいけば体の近くで捕れるという感覚でした。ただ、正面で捕ってバックホームするより、左腕を伸ばし切ったところで捕球して、一回転しながらホームへ投げたほうが強い球が行く。瞬時にそう判断して、あの捕り方になったんです」

 本人はそう言うが、1秒もない間での“判断”である。この辻氏のファインプレーにより、ホームはアウト。テレビ中継では呆然とする野村監督の表情が映った。日本シリーズ史に残る、屈指の名場面である。

「『おい5番』と呼ばれてから11年。やっと野村さんにも認めてもらえたというのかな。野村監督からも色々なことを学びましたが、一番感謝しているのは引退する前年のことです。“辻はそろそろ限界じゃないか”という記事が出て、記者が質問すると、『この年まで野球界のために頑張ってきた辻に、俺が辞めろって言えるか』と言ってくれたことです。嬉しかったと共に、これで自分の引き際もきちんと考えないといけないと思いました。自分の意思だからとダラダラとやるような選手ではいけませんからね」

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