落合監督の凄み、野村監督から認められたと感じた瞬間…名手・辻発彦氏が見た名将・知将の実像

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 6月28日に「つじのじつ話」(ベースボール・マガジン社)を上梓した埼玉西武ライオンズ前監督の辻発彦氏(64)。現役時代は西武の黄金期の名二塁手としてチームを支え、現在は野球評論家・解説者として外から野球を見る。2017~22年シーズンの監督在任中は、ハラハラドキドキの6年間だったという。当時の貴重なエピソードは著書に詳しいが、自身の現役時代、そして指導者になってから接した監督たちとの思い出など、前編に続いて貴重な野球人生を振り返ってもらった。(前後編の後編)

無表情の裏にあった悩み

 前編で紹介した「清原の涙」からちょうど20年後となる2007年11月1日、中日ドラゴンズ対北海道日本ハムファイターズの日本シリーズ第5戦がナゴヤドーム(当時)で行われていた。

 中日先発の山井大介は8回までパーフェクトピッチング。日ハム打線を完全に抑えていた。辻氏は当時、中日の二軍監督を務めていたが、すでに二軍のシーズンは終わっていたため、ナゴヤドームのベンチ裏のコーチ室で試合をモニター観戦していた。

「まいったなぁ~」

 監督の落合博満氏が、それまで見せたことのない困り果てた表情でコーチ室に入ってきたのは8回表、日ハムの攻撃が終わった後だった。この試合、最終回で山井を守護神・岩瀬仁紀に代えて日本一になるのだが、ギリギリまで落合監督は悩んでいたという。球団にとって53年ぶりとなる日本一まであと1イニング。しかも山井は、「日本シリーズで完全試合」という史上初の快挙達成が目前でもあった。

「落合さんは、試合中はずっと無表情でベンチに座っています。でも、気分転換にイニング終わりにコーチ室でお茶を飲むこともあります。ただ、あの試合は、そんな余裕もなくて、本当に悩んでいる様子でした。そこへ森繁和 コーチが入ってきて『監督、山井は変えます』と言うと、『そうか』で決まりです。落合さんが凄いのは、投手のことは全て森さんに任せ、その判断を尊重したことです。あの試合のような場面になっても、最後まで投手に関しては森さんに任せる。それができたのが落合さんの凄さだなと今でも感心します」

 落合監督の試合中の無表情は有名だが、辻氏も著書の中で「現役時代はグラウンドで歯を見せたことがない」と当時のエピソードを綴っている。「辻は笑わない」というイメージも強く、守備についている時の表情などは本当に厳しいものだった。

「そりゃそうですよ、勝負事ですから。ただね、現役時代、守備が終わってベンチに戻る時、あるいはその逆の時も、スタンドを見る余裕なんてまったくなかったですね。今日はどれくらいお客さん入っているのかな、などと考える余裕はまったくなかった。というより、下を向いていましたね。試合のことだけを考えているんですよ。顔が怖かった? 生まれつきですよ(笑)」

 辻氏は1995年にヤクルトに移籍、引退する99年まで在籍した。移籍した当時の監督はあの野村克也氏である。

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