名手・辻発彦氏は36年前、“清原の涙”に何と言ったのか ピンチで選手に掛ける一言の意味を語る

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「楽しめよ」

 2017年6月11日、セパ交流戦、西武対DeNA。辻氏が西武の監督に就任して最初のシーズンである。試合は1対0のまま9回へ。守護神・増田達至がマウンドに立った。たちまち二死にしたところで、次のバッターを四球で歩かせてしまう。前の試合、やはり1点差で迎えた9回にランナーを出し、増田は逆転2ランを浴びていた。

 ベンチを飛び出す辻氏。監督就任後、初めてマウンドに向かった。ピンチの場面でベンチから出て来たのはピッチングコーチではなく監督だ。内野手も全員、マウンドに集まった。その輪の中に入った辻氏、笑顔でこう言った。

「監督だから、一度くらいマウンドに上がりたくてさ」

 張り詰めた緊張感が一気に解けた。増田は次の打者をしっかりと打ち取り、1点差で勝利する。

「クローザーとして増田を信用していました。ただ、前の試合と同じような展開になってしまったので、ここは間を取りたいなと思ったんです。投手コーチを行かせてもいいんですが、『ちょっとオレ、行ってきていい?』と言って駆け出していました。『ここは抑えろよ。こういう球を投げるなよ』とか、多くの言葉はいりません。また、こういう言葉を掛けようと準備していたわけでもないです」

 ピンチの場面で投手への声掛けは気を遣うというが、辻氏の現役時代は投手王国の西武。

「ドラフト同期の渡辺(久信)や工藤(公康)とか、クセのあるピッチャーばかりでね。『マウンドで集中しているから誰も来るな!』というタイプばっかり。東尾(修)さんなんてもってのほかですよ(笑)。ただ、内野手の僕らは投手陣をリスペクトしていましたからね。だから声を掛けるのは若手が多い。打たれるのは仕方ないとして、声を掛ける時は四球が続いた時。もちろん『何やってんだ、しっかり投げろ!』とかキツいことは言いません。『おい、後ろ見ろよ。守備がうまい奴ばっかりだろう。打たせてみなよ、絶対に守るから!』これで十分でした」

 2019年9月24日、リーグ優勝がかかった9回裏。監督の辻氏は、守護神の増田をマウンドに送る。前年も優勝しているが、勝てば優勝が決まる試合で負け、競っていたチームも負けたことから優勝が決まっていた。辻政権になって初の優勝投手の権利を得たのが増田だった。この時も辻氏はマウンドへ行って増田に声を掛けている。

「優勝投手なんて、なかなか経験できるものじゃないですからね。だからここでは『楽しめよ』と。それだけ(笑)」

 著書の中でも触れているが、監督時代は選手だけでなく球場のスタッフにも「おはようございます」「お疲れさま」と声を掛けていたという。

「選手には『お、髪切った?』と一言でいいんです。自分が若い時、先輩やコーチに声を掛けてもらうと、『あぁ、見ていてくれるんだな』と嬉しくなった。その経験からです。選手の時は余裕がなかったですが、監督になるとグラウンド外のことも見えてきます。試合はもちろんですが、選手の変化や日々の努力を見落とさないためにも、一言でいいから声掛けをしたり場を和ませたりしていました」

 辻氏が学んだ監督はまだいる。現役最後のヤクルト時代の野村克也氏、中日二軍監督・コーチ時代の落合博満氏という名監督だ。後編ではその二人との思い出を聞く。(一部敬称略・後編に続く)

辻発彦(つじ・はつひこ)
1958年10月24日生まれ。佐賀県出身。83年、日本通運からドラフト2位で西武ライオンズに入団。黄金時代の西武を支えた名二塁手としてゴールデングラブ賞8回、ベストナイン5回、93年には首位打者を獲得。96年にヤクルトスワローズに移籍し、99年に引退。その後、ヤクルト、横浜ベイスターズのコーチを経て、2006年、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表コーチとして世界一に。07~11年と14~16年に中日ドラゴンズの二軍監督とコーチを務め、17年から埼玉西武ライオンズ監督。18年と19年にリーグ優勝。22年限りで退任。

デイリー新潮編集部

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