名手・辻発彦氏は36年前、“清原の涙”に何と言ったのか ピンチで選手に掛ける一言の意味を語る

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「黄金時代」と呼ばれる1980~90年代の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)で二塁手として活躍し、2017~22年シーズンは同球団の監督を務めた辻発彦氏(64)が、6月28日に自著「つじのじつ話」(ベースボール・マガジン社)を上梓した。都内と福岡の書店で行われた「サインお渡し会」では、西武ファンから「(チームは)大丈夫ですか?」と聞かれ、「ライオンズは夏になると調子が上がる。応援してください!」と返す場面も。現在は野球評論家・解説者を務める辻氏に、名指導者の下で鍛えられた選手時代と自らが指導者になってからの野球観を語ってもらった。(前後編の前編)

「清原が泣いています」

 1987年11月1日、埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場(当時)で行われた、西武対巨人の日本シリーズは、西武の3勝2敗で第6戦を迎えた。2点を追う9回表の巨人の攻撃も、原辰徳がライトフライ、吉村禎章はショートゴロで、二死となった。西武の2年連続日本一まであと一人……。

「清原が?……泣いています。何があったんでしょうか?」

 中継していたTBSの石川顕アナウンサーは、キックボクシング・沢村忠の決め技「真空飛び膝蹴り」の命名者として知られるスポーツ実況の名手。その石川アナが、一瞬、言葉に詰まる事態が起きた。

「思わぬハプニングがありました。4年目の辻が清原を励ましています」

 大粒の涙を流す清原に近づいたのは二塁手の辻氏だった。この時、清原に「試合が終わってから泣け!」と言ったと伝えられるが、本人はこう語る。

「あんな大事な場面で、怒るわけがないじゃないですか(笑)。最初に一塁の寺本勇 塁審が気づいたんです。清原に近づいて、何か言葉を掛けている。それで僕も行ったら、彼がボロボロと泣いていた。巨人とは入団時に色々とあったから、ツーアウトまできたあの場面で、今までの思いや気持ちが一気に出たのでしょう」

 では、何と声を掛けたのか?

「おいキヨ、大丈夫か? ボール見えるか?」

 次のバッターは左の巧打者・篠塚利夫(現・和典)である。一・二塁方向へ打球が飛んでくる可能性は十分にあった。清原は顔をくしゃくしゃにしながら言った。

「すみません、大丈夫です」

「まだ終わってないぞ」

 最後にそう言って、守備位置に戻った辻氏。そして篠塚は初球を打ってセンターフライに倒れ、西武の日本一が決まった。

「清原の気持ちもわかりますから、あの場面で『なに泣いてるんだ!』なんて怒ることはしません。でも、あと一人という状況でもあるので、最後はしっかり気持ちを引き締めようと思ったんです」

 あの時、試合中のグラウンドではめったに見せない優しい笑顔で、清原に声を掛けていた姿は印象的だった。野球選手にとって「声を掛ける」は時に大きな意味を持つ。

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