高校時代は全然パッとしなかったのに…プロ入り後、脅威の“大化け”に成功した歴代投手

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内野手も経験したロッテの守護神

 今季通算200セーブを達成したロッテの守護神・益田直也も、市和歌山商(現・市和歌山)時代は控えの内野手だった。

 もともとは投手志望だったが、高校1年時の健康診断で心臓に穴が空いていることが判明。医師から激しい運動を止められたため、真鍋忠嗣監督は体への負担を考慮して内野手にしたという。

 2007年の和歌山県大会、3年生になった益田は背番号「16」でベンチ入りし、チームは初戦から4試合連続コールド勝ちと順調に勝ち上がった。

 だが、準決勝の高野山戦は、序盤に2点を先行しながら、5回にエラーや死球に暴投が絡んで2対4と逆転されてしまう。

 2点を追う8回、益田は3番手投手の代打として大会初出場をはたすが、無念の凡退。その裏、4番手投手と交代する形でベンチに下がり、高校最後の夏を終えた。

 関西国際大入学後、体調の不安も解消され、念願の投手としてスタートを切った益田は、10人くらいいた同期の投手の中でも、まったくの無印だったが、「ここで一生懸命やろう」と初めて経験する投手としての本格的なトレーニングに1から取り組んだ。

 そして、2年時の全日本大学野球選手権で、強豪・法大を相手に最速147キロをマークし、プロ注目の右腕に成長。2012年にドラフト4位でロッテ入りすると、1年目から72試合に登板するなど、一躍球界を代表するリリーフエースに。

 高校時代に投げたくても投げられなかった体験が、投手への思いを一層強め、結果的に大きなプラスになったと言えるだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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