前田日明が何度も騙された「お化け騒動」 本人は「人生で一番楽しかった」と語った伝説の新日時代

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新日本プロレスの道場には幽霊が出る!?

 テレビ番組の企画で除霊のために呼ばれた僧侶かつ霊能者タレントの織田無道は言った。

「これは俺の力じゃ無理だ……」

 1990年代、新日本プロレス道場に入った時の一言である。

 実際、新日の道場兼選手寮は、その手の話に枚挙に暇がなかった。「座敷わらし(小さな女の子)を見た」は序の口。誰もいないはずの2階の廊下を歩く音がしたので、まだ新鋭だった高田延彦(当時は伸彦)と後の獣神サンダー・ライガーとなる若手が、バットを片手に1部屋1部屋、チェックしたことも(1983年7月)。

 2008年7月と10月には、金本浩二と天山広吉が道場からの外出時に相次いでバイクによる接触事故を起こす。こちらは道場の直近に心霊スポットとして有名な等々力渓谷があったことと関連づけられ、雑誌のオカルトコーナーで取り上げられていた。

 2013年に選手寮を建て替えてからは、これらの怪奇現象もさっぱりなくなったそうだが、逆に言えば、それ以前は上述の通り。なにせこちらの旧選手寮、元はアントニオ猪木 の自宅だったが、その前は演歌歌手の畠山みどり邸だった(道場は新日本プロレス旗揚げ時に増築)。年季の入った物件だけに、まとわり付くものも多いということか。

 1970年代後半にも、選手間でこんな噂が流れた。

「夜中に霊がベンチプレスをする。深夜3時を過ぎてガチャンガチャンと音がしたらそれだ」

 そんな話が出た夜、深夜3時を超えると、道場から本当にガチャンガチャンと音が。すると、真偽を確かめようとしたのだろう、道場の扉がおそるおそる開き、ある若手が顏を出した。そしてベンチプレスをする人影を見て、絶叫。

「で、出た~っ!」

 一目散に部屋へと逃げ帰る一人の若者に、一拍置いてドッと笑い声が起こった。ベンチプレスを挙げていたのは佐山聡(後サトル)。そして笑い声は、道場のそこかしこに隠れて顛末を見守っていた藤原喜明、ドン荒川、小林邦昭などなど。皆で仕組んだイタズラだった。

 ターゲットにされたのは前田日明だ。

度を越した純粋さ

 新日本プロレスで育った期待の新星・前田日明。しかし、プロレスファンにとっては“それ以降”の印象のほうが強いだろう。1984年2月、新団体の第1次UWFにエースとして移籍し、85年12月、新日本に出戻ると、猪木の衰えを公然と批判し、アンドレ・ザ・ジャイアントとのシュートマッチにも一歩もひかず。長州力の顔面を蹴り、新日本プロレスを解雇されると、88年4月、第2次UWFを旗揚げ。こちらが離散すると、91年5月、1人でリングスを立ち上げ、99年2月、最後は“霊長類最強の男”の肩書で知られる五輪3大会連続金メダリストのアマレスラー、アレキサンダー・カレリンと戦って引退した。最強を目指した前田の姿勢を表す、こんな逸話がある。

 ある立ち技系の道場に出稽古に行くと、指導者に言われた。「君はボディが弱いから今から腹筋をしなさい」。指導者が夕方、道場に戻って来ると、前田は言ったという。

「先生。昼から今までずっと腹筋をしていたのですが、どうも段々腹が痛くなって来たんです……」

 度を越した純粋さ――。それは前田を表す、もう1つのキーワードだ。そもそも前田が強くなろうと決めたのは、テレビで初代ウルトラマンがゼットンに負けた回を観てからである(1967年4月9日放送。前田は1959年生まれ)。「自分が強くなってゼットンを倒す!」というわけだ。そのピュアさを示す逸話の数々は半ば伝説化している。

 小学生時代、友人に「ウルトラマンの中には人が入ってるんやで」と言われれば、「知っとるわ! あの中にハヤタ隊員が入ってることくらい!」。新日本入門後、「毎日、道場の庭に水をまいておけ」と言われれば、雨の日もホースで水をまいていたなどなど……。

 なるほど、肝試しで騙すにはうってつけの人材というわけだ。とはいえ筆者としては、これらのエピソードはどうも眉唾。場を面白可笑しくするために後から尾ひれがついたものなのだろうと思わなくもなかった。

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