原爆を「お笑いネタ」化して炎上 映画「バービー」を機に知っておくべき「歴史の真実」 主犯はアメリカでも“共犯”の国が二つ
アメリカ映画「バービー」がPRに際して原爆をあたかもお笑いのネタのように扱ったことについて、日本人の多くが不快に思い、不謹慎だと批判するのは当然のリアクションだろう。一方でこの件は、アメリカ人の中にはいまだに原爆投下を正当化していることを示していると読むことも可能である。
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つまり、原爆投下は戦争終結のためには仕方のない行為であり、結果として平和をもたらしたのだ、という考え方である。
このような主張をするアメリカ人は決して珍しくないのだ。
もっとも、広島の原爆死没者慰霊碑の有名な言葉「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に代表されるように、原爆投下に関しては、日本側にも非があった、と捉えている日本人もまた少なからず存在している。
「とっくに白旗をあげてよかった状況だったのに、軍が抵抗しつづけたから、アメリカが開発した原爆を投下したのだ。戦争終結のためには仕方が無い。そもそも日本が間違った戦争をしかけたのが原因だ」
こういう歴史観はアメリカの主張とも重なるうえ、戦前の日本を全否定する立場とも相性が良い。そのため多くの書物やテレビで主流を占めている。ここまで直接的な表現ではないにせよ、教科書などもこうした見方に近い歴史観で書かれていると言っていいだろう。
しかし、資料をもとに検証してみると、こうした歴史観は完全に間違っていることがわかる。公文書研究の第一人者である有馬哲夫・早稲田大学教授は、著書『原爆 私たちは何も知らなかった』の中で、日本人の多くが知らない歴史の事実を明らかにしている。
その代表的なポイントをまとめると、たとえば以下の通りとなる。
(1)原爆はアメリカの単独開発ではなく、イギリス、カナダとの共同開発である。
(2)原爆の投下はアメリカだけで決められるものではなく、イギリス、カナダも同意していた。
(3)原爆を大量殺戮兵器として使う必要はなかった。
(4)科学者たちは投下前から核拡散を憂慮して手を打とうとしたが、アメリカやイギリスの政治家たちがそれを無視した。
まず、(1)と(2)について同書をもとに見ていこう(以下、引用はすべて『原爆 私たちは何も知らなかった』より)。
国際プロジェクトとしての原爆開発
原爆を作ったのは誰か。日本人は「アメリカが原爆を作った」イコール「アメリカ人が原爆を作った」と受け止めがちだが、そうではない。そもそもの話をすれば、原子力を爆弾に用いるというアイディアが最初に登場したのはイギリスである。
そして関わった科学者の国籍も実に多彩だ。オーストラリア人、ニュージーランド生まれのイギリス人、フランス人、スイス人、イタリア人等々。ちなみに今回、話題になった映画「オッペン・ハイマー」の主人公ロバート・オッペンハイマー博士はドイツ系ユダヤ人2世だ。
イギリスやアメリカは、ドイツが連合国よりも先に驚異的な威力を持つ新兵器、すなわち原爆の開発に成功することを怖れており、対抗上自分たちも開発をしなければならないと考えた。ここで注目すべきは、あくまでも彼らの頭にあったのは、ドイツであって日本ではない点、また「対抗上」といういわば「抑止論」の立場から開発しようとしていた点だ、と有馬氏は指摘している。
「アメリカはいまでも『戦争終結を早めるために』あるいは『数十万の日米の将兵の命を救うために』原爆を使ったといいます。レトリックは巧みですが、要するに、これは『攻撃論』です。相手に甚大な被害を与え、大量殺戮し、戦意を喪失させ、戦争継続をあきらめさせるということです。これによって、戦争終結が早まり、それによって数十万の日米の将兵の命が救われるという考え方です。
これは原爆開発に携わった科学者たちの論理ではありませんでした。それに彼らのほとんどは、ドイツが原爆を持ち、永久にヨーロッパを支配することを恐れていました。ドイツの原爆の使用を抑止するために、あるいは対抗するために、連合国側は原爆を持つべきだと考えたのです。(略)
残念ながら、当時の日本は原爆を作れる国とはみなされていませんでした。技術もなかったのですが、それ以上に資源がなかったからです」
この資源が、カナダが原爆開発という国際プロジェクトに関わる理由でもあった。
カナダは重要な共犯者
先ほども述べたように、もともと原爆というアイディアはイギリスが最初に考えたものだ。しかし、イギリスには単独で開発することは困難だった。
「原爆の製造は理論的には十分可能だが、それには巨額の資金、巨大な工場設備、膨大な量の資材と薬品、大量のウラン鉱石が必要だということです。これは当時のイギリスの状況を考えると、ほぼ不可能だといっているのに等しいのです。
私たち日本人はアジア地域での戦争のことは比較的よく知っているのですが、ヨーロッパ地域での戦争、とくにドイツとイギリスの戦争のことはあまりよく知りません。イギリスは、戦争に勝ったのだから、たいして被害がなかったのだと独り決めしています。しかし、実際には、とくにロンドンなどがドイツ空軍の爆撃で大きな被害を受け、あと少しで降伏せざるを得ないところに追い込まれていたのです」
こうした事情から、イギリスのチャーチル首相は、アメリカ、カナダとの共同開発という道を選ぶこととなる。アメリカはともかく、なぜカナダなのか。そもそもカナダと原爆とのかかわりはこれまでほとんど語られてこなかった。原爆に関する古典的な研究書が執筆された頃には、関連公文書が機密扱いだったことなどが関係しているという。
「1980年ころからこれらの文書は公開され始めるのですが、英米はもちろんカナダでも、カナダの原爆開発に果たした役割に光をあてる研究はでてきていません。このためカナダ人でさえ、一部の関係者と研究者を除いて、自国が原爆開発と深い関係があることを知りません」
アメリカ、イギリスにはカナダを仲間に入れなければならない事情があった。
「カナダはウラン鉱石の輸出国でした。コンゴにはもっと質が良く埋蔵量も豊富な鉱山があるのですが、なにせイギリスからもアメリカからも遠く、また宗主国のベルギーがドイツに占領されているということで、混乱状態にあり、なかなか入手が難しかったのです。
また、忘れられがちですが、原爆製造において減速材の重水はとても重要です。ウラン鉱石に加えてこの重水もかなりのシェアをカナダが占めていました。 こういった複数の要素が重なって原爆開発におけるカナダの重要性が高くなったのです。
さらに、アメリカの工業地帯といえば五大湖沿岸ですが、この地方は対岸のカナダの工業地帯と結びつきが強いのです」
現代人の目から見れば、原爆開発などというプロジェクトに関わったことは非難の対象ともなりえるだろう。しかし、当時の彼らにとってドイツと対抗するための兵器の開発であり、また夢の新技術の開発でもある。こうして原爆はアメリカ、イギリス、カナダの3カ国による国際共同プロジェクトとなった。
原爆の独占を狙った英米
1943年8月19日、アメリカとイギリスは「ケベック協定」という取り決めを交わす。そこにはこうある。
「1.われわれはこの力(agency)をお互いに対して決して使用しない。
2.われわれはこの力をお互いの同意なくして第三者に対して使用しない。
3.われわれはチューブ・アロイズ(原爆のこと)に関する情報を第三者に対して、お互いの同意なくして公表しない。(以下略)」
要するに、原爆を互いには使わないし、敵国に対して使う際も互いの同意が必要だ、ということである。この協定は、文面上は2カ国の協定だが、実はこの協定に基づいて共同開発にかかわることを決める「合同方針決定委員会」にはカナダの軍需大臣の名前も入っている。つまり事実上、カナダもこの共同開発の当事者となっているのだ。
その狙いを有馬氏はこう解き明かす。
「なぜカナダ代表を1人いれたのでしょうか。
それは、このケベック協定のもう一つの目的のためです。ケベック協定は原爆を協同開発すると同時にウラン資源の独占も目的にあげていました。ドイツなど自分たち以外の国に作らせないようにするためです。
原爆は恐ろしい破壊力をもった兵器なので、自分たちが作ると同時に、敵国(潜在敵国、特にソ連)に作らせないようにすることが重要になります。(略)
カナダは、ウラン資源を持ち、技術移転によって加工の技術も持っています。カナダを協定に引き入れない限り独占体制は完成しません」
こうした事実を踏まえていくと、原爆を作ったのはアメリカだ、といった見方がいかに皮相的かは明らかだろう。
「原爆開発は科学者たちの面から見れば国際的プロジェクトだったといいましたが、国の面から見ても、3カ国の協定によって、世界中のウラン資源の独占と分配をも計画した国際プロジェクトだったといえます。
アメリカは、このケベック協定(その下部委員会の合同信託委員会も含む)のもと、戦争に使用するということでウラン資源を優先的に回してもらわなければ、1945年の夏までに原爆を複数製造することはできませんでした」
有馬氏がここに示した事実はすべて公文書など1次資料をもとに裏付けのあるものだ。日本人には、アメリカのみならずイギリス、カナダに対しても一言言う権利があるのだ。
※有馬哲夫『原爆 私たちは何も知らなかった』(新潮新書)から一部を再編集。
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