浮気がバレて妻に叱られるのが嬉しい…44歳“かまって夫”が明かす妻への歪んだ愛情
前編【「あんたって本当につまらない男ね」妻との結婚を報告した際、母親は言い放った。44歳夫が語る“嫌気がさした親子関係”】からのつづき
岡本瑛彦さん(44歳・仮名=以下同)にとって「男を見せる」のは不倫相手、徹底的に甘えたいのは妻である千夏さんで、妻に依存しているのだという。26歳のときに結婚した千夏さんは小学校からの地元の幼なじみだった。瑛彦さんが大学のために上京した後も関係は切れず、二人の子を授かった。厳しすぎる母に育てられ「褒められた」ことのない瑛彦さんは、それを千夏さんに求めてしまっているのかもしれない。
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上の子が小学校に上がった35歳のころ、瑛彦さんの父が亡くなった。母は涙ひとつこぼさず、淡々と葬儀を出したが、四十九日が終わったとき急に気弱な口調で瑛彦さんに同居を打診してきた。
「千夏は母に疎まれていることを知っていたから、結婚後もほとんど行き来はなかったんです。千夏の親たちも、うちの母のことは避けていた。そんな状態で同居なんてできるわけがない。僕もそうはっきり言いました。すると母は別室にいた千夏を自ら呼んできて、彼女の前で土下座したんですよ。『今までごめんなさい。私はあなたに見捨てられたら生きていけない』と号泣して……。千夏も人がいいんですよね、同じように泣き出して。『いいですよ、お義母さん、うちに来てください』って。僕はあわててもう少し時間をかけて話し合おうと言いました」
いったん帰京して話し合ったが、「あんなお義母さんを放ってはおけない」と妻は譲らなかった。絶対に同居はしたくないと言い張る瑛彦さんに、「あなたは冷たすぎる」と千夏さんは言った。
「せめて同居はやめよう。母親にもいくらか貯金はあるだろうから、近くに賃貸マンションでも借りて、寝起きだけは別にしようと提案。千夏もそれならと受け入れてくれました」
当時、母はまだ還暦を過ぎたばかり。若い上にエネルギッシュなタイプ、しかも口うるさいとくれば千夏さんと衝突するのは目に見えていた。
わが家からモノが無くなりだして…
財産を整理して上京した母は、瑛彦さんが用意した近所のマンションに落ち着いた。
「一軒家以外住んだことがないのにとぶつぶつ文句を言っていました。うちだって集合住宅だから、毎日、あんな愚痴を聞かされたらたまらない。本当に同居しなくてよかったと思ったものです」
ところがその後、瑛彦さんが帰宅すると母がいた。何かあったときのためにと、瑛彦さんが知らないところで千夏さんは母に自宅の鍵を渡していたのだ。彼は妻に「どうして鍵なんか渡したんだ」と言ったが、「ひとりだと心細いと思って」と妻は母をかばった。
「でもあるとき、千夏が何かを必死に探していたんです。どうしたのと声をかけたらお金がなくなっていると。それだけじゃない。僕が親父の形見としてもらった古い懐中時計もなくなっていた。母しかいないわけですよ。 問い詰めたけど知らないって。母のマンションに行って探したら、あれこれ出てきました。お金も封筒ごとあったし、懐中時計も。息子たちが大事にしていたポケモンカードまで。ひょいひょいと目についたものを持って帰っていたのかと思って、認知症を疑ったんです 」
だが母は確信犯だった。彼がどういうつもりなのかと問うと「大事なものがなくなれば私に関心を示してくれると思った」と。千夏さんは義母の寂しさに共感していたようだが、瑛彦さんは激怒した。
「共働きで、ただでさえうちは大変。それなのに千夏は母に夕飯も作っている。母は食費も出していない。思わず、『かあさんはオレが大人になってまで、オレの人生を邪魔するのか。千夏がどれだけ大変かわかってるのか。自分ひとりで生活してみろ』と叫んでしまいました。昔からの恨みが一気に出たのかもしれない」
千夏さんもほとほと疲れたようだった。それ以上に、彼女としては息子たちが大事にしていたカードを義母が平然と持ち去ったのがどうしても許せなかったらしい。
「とはいえ認知症でもないし持病があるわけでもない。少し距離を置いて生活しようと千夏と話しました。だけどそれからすぐ、母は脳梗塞で倒れた。気づくのが遅れて後遺症が残りました。千夏はそれで自分を責めるようになって……」
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