司忍組長が田岡3代目を墓参 「親分、爪が長すぎでは?」「跡目は誰が良い?」3代目と担当警部との生々しいやり取りを収めた書籍のハイライト

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山本若頭のキツいひとこと

「坪田警部は田岡組長について“取材”すべく、ヤクザから足を洗って尼崎で中華料理店やパチンコ店を営んでいたT氏にまずは接触したようです。このT氏は実は私のかつての兄貴分で、3代目山口組の直参となった初代古川組の古川雅章組長の親方的な存在だった人物です。この中華料理店には3代目山口組若頭で初代山健組の山本健一組長も顔を見せていたと言います」

 坪田警部がT氏に依頼したのは田岡3代目との仲介ではなく、上司からのミッションを果たすために情報を聞き出すことだった。

「そこでキーマンが山本若頭だということを押さえ、まずは山本若頭との面会にこぎつけます」(同)

 肝臓を患って通院中だった山本若頭は、「そのためにあまり時間が取れない」とし、山口組の顧問弁護士事務所近くのソバ屋の小部屋で会うことになった。

「坪田警部は目的を明かさず遠回しに話を進めようとしたものの、山本若頭に真意をただされ、2つの大きなミッションについて伝えたそうです。山本若頭は“あんた正気か?”と言って気まずい空気が流れることに……。坪田警部が、田岡3代目が入院中の病院に直接出向くと提案したところ、山本若頭が“わかった。また連絡する”と制したということでした」(同)

田岡御殿の大金庫にあったものとは?

 11日後――。山本若頭から坪田警部に、「親分は笑いながら2,3日考えると言いよった。連絡があったら電話する」との返事があったという。

 さらに数日後、田岡3代目は山本若頭に面会する旨を伝えた。

「田岡・坪田会談」は計3度開かれた。1度目は1975年5月、田岡3代目が入院していた兵庫・尼崎の関西労災病院の特別室5階「501号室」においてだった。

「坪田警部は相当緊張してその場に向かったようです。数カ月前には田岡3代目の長男・満氏を公正証書原本不実記載の疑いで逮捕しており、そういった話や『山口組時報』に関する話題などが展開され、あらかじめ決まっていた45分の面会時間はあっという間に過ぎ去ったとありました。田岡3代目が“次回は1時間やな”と言ってその日は終わったということでした」(同)

 2度目は1975年6月。田岡3代目は外泊許可をもらって、神戸市内の自宅「田岡御殿」に坪田警部を招き入れた。

「この時も本題に入ることはなかったようです。以前、坪田警部が田岡御殿の家宅捜索に関わった際に、大型金庫を見つけたことがあり、その中にはお金ではなく名刺の束が入っていたとのこと。岸信介や佐藤栄作といった首相経験者の名刺もあり、そのことを振り返ったようですね」(同)

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