ゲームセット寸前で「絶対的守護神」が退場も…「あと1人」「あと1球」で起きた“衝撃的プレー”
逆転満塁サヨナラ本塁打
6月17日の阪神VSソフトバンクで、阪神ファンから「あと1球」コールが起きた直後、岩崎優が中村晃に逆転アーチを浴び、ガッカリしたファンから「もう(コールを)やめない?」の声も出た。たとえ9回2死であっても、「ゲームセット!」の声を聞くまで野球は何が起きるかわからない。過去にも「あと1人」「あと1球」からまさかのどんでん返しが起きた例は少なくない。【久保田龍雄/ライター】
【写真】「あと1球」で危険球退場となった“殿堂入り投手”とは?
まずは冒頭でもふれた阪神の26年前の「まさか」から紹介する。
1997年9月11日の広島戦、この日まで0勝6敗の阪神の先発・舩木聖士は7回2死まで2失点に抑え、4対2とリードして降板。このまま逃げ切れば、前年9月25日のヤクルト戦以来、約1年ぶりの勝利投手になるはずだった。
吉田義男監督も「何とか勝たせてやりたい」と、7回2死から田村勤、8回から伊藤敦規を投入し、パーフェクトリレーでアシスト。打線も9回に高波文一のシーズン1号などでダメ押しの2点を加え、試合を決めたかに思われた。
そして、9回から守護神・葛西稔がマウンドに上がったが、この日は球威、制球とも今ひとつ。先頭の金本知憲を四球で歩かせると、ロペスにも右前安打。さらに次打者・高山健一の三ゴロを処理した今岡誠が二封を狙って送球すると、和田豊のエラーで1点を失い、無死二、三塁とピンチを広げてしまう。
ここから葛西は西山秀二、町田公二郎を連続三振に切って取り、勝利まで「あと1人」に漕ぎつけたが、直後、信じられないような悪夢が待ち受けていた。
野村謙二郎に四球を与え、2死満塁としたあと、「昨日最後のバッターになっているから、借りを返そうと思っていた」という緒方孝市を137キロストレートで詰まらせながらも、左翼フェンスギリギリに逆転満塁サヨナラ本塁打を浴びてしまったのだ。
4点リードを守り切れず、巨人に抜かれて5位に転落した吉田監督は「舩木が可哀相ですわ。9分9厘勝っていても、ひとつのアウトを生かしたことが負けにつながった」と悔やむことしきり。
一方、舩木は「勝ってないピッチャーっていうのは、こんなものですよ。最後まで投げられなかった自分が悪いんです」と結果を素直に受け入れた。その後、リリーフ登板した9月24日の巨人戦で、連敗を「7」で止め、シーズン初勝利を挙げている。
「大魔神」に危険球退場を宣告
勝利まで「あと1球」としながら、すべてを託した守護神が退場になるという、パニック寸前のアクシデントが起きたのが、1998年4月10日の横浜対巨人である。
3点を追う8回裏にローズの2点タイムリーなどで4対3と一気に逆転した横浜は、9回から満を持して“大魔神”佐々木主浩が登板した。
佐々木は簡単に2死を取り、代打・石井浩郎もフルカウントと追い込んだ。
ここは伝家の宝刀・フォークで三振を狙う場面だが、“最後の1球”を前に佐々木は捕手・谷繁元信のサインに首を振り、ストレート勝負にこだわった。
実は前年6月26日の巨人戦で、この日と同じ1点リードの9回、石井にストレートを痛打され、同点ソロを許していた。そのリベンジをはたしたい佐々木は、あくまでストレートで打ち取ろうと考えたのだ。
ところが、内角高めを狙った144キロの速球は、力んだ分コントロールが狂い、石井の頭部へ。ベース付近に立って踏み込んで打とうとしていた石井は、避けることができなかった。「(当たったのは)肩じゃないっすか」という谷繁の必死のアピールも虚しく、谷博球審は佐々木に危険球退場を宣告した。
勝利まで「あと1人」という場面で、絶対的守護神がまさかの退場……。緊急リリーフに島田直也が指名されたが、佐々木が2死を取った時点で「もう出番はない」と思い込んでいただけに、心の準備はできておらず、一発が出れば逆転というプレッシャーは、ハンパではなかった。
それでも、「最後は気迫だった」と代打・ダンカンを中飛に打ち取り、やっとの思いでゲームセット。完封負けペースからの大逆転劇もつかの間、勝利寸前から守護神の危険球退場と二転三転する胃に悪い試合展開に、権藤博監督も「野球は何が起こるかわからん」とため息をつくばかりだった。
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