キックの鬼・沢村忠が熱く語ったタイでの戦い テレビが作り上げたスターの実像(小林信也)
消えた天才
私がノンフィクションを書き始めた80年代、沢村忠は多くの野心家が追いかけて作品にしたい「消えた天才」の一人だった。ところが、「都内の精神病院に入院していて会えない」といううわさがまことしやかに流れていた。メディアから逃れるバリアだったのかもしれない。その後、沢村は都内でタクシー運転手をしていると報じられた。誰にも会いたくなかった最大の理由は、沢村の伝説が真剣勝負でなく、筋書きのあるドラマだったことが半ば公然と語られたからだろう。
テレビが創り上げたフェイクは、いまに至るまで枚挙にいとまがない。そんな現実に戸惑いながら、沢村の無邪気な笑顔は私を混乱させる……。TBSの中継が始まる直前(9月13日)、沢村はルンピニースタジアムで「タイ国ライト級王者」ポンチャイ・チャイスリヤと対戦している。勝負の決着はつけないエキシビションマッチだったが、限りなく真剣勝負に近い一戦と細田も認める試合から帰国直後のインタビューだ。
〈ダウンはぼくが二度、相手が七回です。それで引分けだなんてって、(笑)(中略)でもあれ、お客さんが見てくれましたからね。こっちを指差して勝った、勝ったって。(中略)自分では満足しています〉(「ゴング」誌)
リアルファイトで通用する手応えを感じた喜びなのか、それさえも演出的コメントだったのか、沢村も野口も鬼籍に入った今となってはわからない。
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