デヴィ夫人のジャニー氏擁護はなぜズレている? 「権力者男性」をかばう過去に見る並々ならぬ「努力」信仰の違和感

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

被害者は「努力不足」? 法やモラルよりもメンツと権力を重んじる夫人の思想

 メディアやお茶の間からのいわれなきバッシングの苦しみという意味では、本来なら夫人こそ被害者に同情を寄せたっておかしくない。実際に著書では、大統領夫人となったことによって引き起こされる週刊誌報道のひどさに、繰り返し苦言を呈していた。

 夫人にとって、性被害者たちは自分と正反対の人間に見えているのではないだろうか。そのように仮定すると、腑に落ちるところがある。自分は「努力した者」であり、彼らは「努力しなかった者」だという見方である。

 近年のインタビュー記事などで、夫人は「努力」という言葉をよく使う。男性のお金とコネにぶら下がってきたわけではなく、自分の努力と才能もあって成功者となったのだ、という自負があるのだろう。

 一方で被害者が「努力しなかった者」であることを前提とすればどうなるか。権力者から性被害にあったと告発する人間のことは、目をかけてもらったのにチャンスとして生かせない無能だと映ることだろう。彼らは“努力不足”なだけだ、と。そして、弱者の分際で強者に盾突くとは何事か、見苦しい、という発想になっていくのかもしれない。

 おそらく夫人は、法やモラルという誰でもわかるルールより、お金や権力など限られた人にしか切れないカードを重んじているのではないか。金とコネは、時に法やモラルさえねじ曲げられる「強者」の証だからである。その力を使うには、力を持つ者の懐に入らなくてはならないのに、そのメンツを潰すなんてもってのほか。世の中がわかっていない、努力が足りないと歯がゆく見えてしまうのだろう。

敗者になるよりは悪者の方がマシ? セレブというよりヤンキー的なキャラのテレビ的な強さ

 わいせつ罪ではなく、大人のアバンチュール。不倫ではなく、社交界ならではの粋なお遊び。たとえ世間からはおかしいとののしられようとも、強者側が機嫌を損ねない、強者側にい続けるための言葉と論理を守る。それこそが成功のための努力であり、のし上がったもん勝ち。もはやセレブというよりはヤンキー的な弱肉強食理論が、夫人には根付いているように見える。

 それは眉をひそめられる一方で、今のテレビ業界にとっては最もありがたい存在に違いない。炎上におびえてコメンテーターたちが及び腰になる昨今、ワイドショーに最も必要とされているのは「悪役」である。

 おそらく夫人は、「弱者」や「敗者」になるくらいなら、強い「悪者」でいたいと思う人ではないだろうか。

 今回の発言に寄せられた膨大な批判を目にしても、「けんか上等」とばかりにヤンキー魂を燃え上がらせている姿が目に浮かぶのである。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。