牧伸二はなぜ多摩川に身を投げたのか 「いつもならスーツ姿なのに…」亡くなる前日の様子を喫茶店経営者が証言

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芸人は生き方そのもの

 牧がテレビで活躍したころは、高度経済成長期の真っただ中だった。明るいウクレレの音色が、右肩上がりの時代の空気によく合っていた。日本人の多くが元気だった。世相をチクリと風刺するウクレレ漫談にも、どこか温かさがにじみ出ていた。

 牧の訃報を受けて、50年来の友人で漫談家のケーシー高峰(1934~2019)はこんなコメントを出した。そのまま引用する。

「昔は1日に3回、同じ舞台に立つこともざらだったが、お客を飽きさせないようネタを変えていた。最近の舞台でも必ず新しいことを取り入れていて、そんな芸熱心さを尊敬していました。扱うネタは庶民的。それが世間に広く受け入れられたのだと思う。周囲の信頼も厚かった。本当に残念です」

 たしかに、芸人とは職業ではない。生き方そのものではないだろうか。長生きしなければ究めることができないものもある。

 牧の悲報を受けて思い出したのは、東京下町の長屋を住まいとし、86歳で逝った落語家の林家彦六(八代目林家正蔵=1895~1982)である。質素な生活を終生変えないことで人情の機微をつかんだ。やがてロウソクのように燃え尽きていく運命にあっても、その消え方も含めて芸人なのである。

 どんな逆境でも生き抜く。転んでもタダでは起きない。自分をさらけ出し、自分の恥をネタにしてまでも笑いをとる。そんなしたたかでふてぶてしいばかりの芸人に、大ベテランの牧もなれなかったのだろうか。

 と、書きながらも「お前はそんな偉そうなことを言える柄なのか」と後ろめたさを感じる。そもそも芸人であれ会社員であれ、本当につらいときは弱音を吐ける、悩みを打ち明けられる雰囲気が、牧の周辺に醸成されていなかったことが残念でならない。でも、生きていることに相当な違和感を抱いている人は、何もかも忘れ果て、どす黒い無明の世界に沈んでいくのだろう。

 多摩川の冷たい水の中で、牧が私たちに別れを告げてから10年。「あ~あんあ、やんなっちゃった、あ~あんあ、驚いた」。あのウクレレ漫談が空しく響く。

 次回は「燃えよドラゴン」など一連のカンフー映画で世界中を熱狂させた俳優ブルース・リー。32歳の若さで突然この世を去ってから、この夏で50年。武道家であり、思想家でもあったリーの人生哲学と死生観に迫る。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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