牧伸二はなぜ多摩川に身を投げたのか 「いつもならスーツ姿なのに…」亡くなる前日の様子を喫茶店経営者が証言
指が思うように動かない
さて、牧の経歴について振り返ってみよう。1934年、東京生まれ。定時制高校に通いながら温度計製作会社に勤務。57年に漫談家の牧野周一(1905~1975)に入門し、自己流でウクレレを覚え、「やんなっちゃった節」を歌った。
芸名の「牧伸二」は「牧野」から。「俺より脳(野)が足りないから」と言われ、数字も一番ではなく、「二」に。
だが「伸」の字に師匠からの期待が込められていた。「やんなっちゃった節」は山手線の中で耳にした乗客のぼやきがヒントになったというが、やがて人気番組「大正テレビ寄席」(日本教育テレビ[現テレビ朝日])の司会を務め、全国区の人気者になった。
そんな牧を子どものころから見ていた私は、いつかインタビューしたいと思っていた。実現したのは2009年7月。お笑い界の長老として「現在どんな心境なのか」を浅草の演芸場の楽屋で尋ねた。
舞台の明るい雰囲気とは違い、とても穏やかな表情。だが、真顔でこんな風な回答をしてくれた。
「最近は『やんなっちゃった』って歌っても、本当にやんなっちゃうんじゃないかと思ってしまうことがあります。昔のようにゲラゲラ笑ってくれるお客さんも少なくなった気もします。笑い飛ばせないほど、シャレにもならないほど、深刻な問題や事件が多すぎるからでしょうかね。僕も9月で75歳。後期高齢者です。将来に希望が持てる政策を政治家は打ち出してほしいね」
実は牧は、2002年に脳出血で入院。足が不自由になった。人知れずリハビリに励み、杖をつきながら黙々と浅草の寄席に通い続けた。才能には恵まれていたが、努力の人でもあった。
しかし、ウクレレの演奏は全盛期にはほど遠かった。指が思うように動かない。舞台の裏で音楽テープを流し、ウクレレを弾いているように見せて、口パクで半分しのぐこともあったという。
しかも、年齢は78歳。認知症にも悩んでいた。根が真面目でプライドが高い人だけに、そんな自分に耐えられなかったのかもしれない。
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