牧伸二はなぜ多摩川に身を投げたのか 「いつもならスーツ姿なのに…」亡くなる前日の様子を喫茶店経営者が証言

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「“芸能人”になっちゃいけないよ。いい“芸人”になりなさい」――ウクレレ漫談で知られる牧伸二さん(1934~2013)は、若い芸人を前に、口癖のように言っていました。ハワイアンの旋律にのせながら、世相を軽妙に斬った天才の素顔は、どんなものだったのか……。日本の新聞社で唯一「大衆文化担当」の肩書を持つ朝日新聞編集委員の小泉信一さんが、様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。10年前の4月、衝撃の自殺を遂げた牧さんの人生に迫ります。

「昭和の日」に逝った昭和の大芸人

 子どものころテレビのお笑い番組で、ウクレレを手にしたこの人の歌を聴いて、「何がそんなに嫌なのだろう?」と思った。

 ハワイアン風の旋律に軽妙な社会風刺をのせ、最後は「あ~あんあ、やんなっちゃった。あ~あんあ、驚いた」と締める。ウクレレ漫談「やんなっちゃった節」で一世を風靡した牧伸二(本名・大井守常) である。

 悩みの種は何だろう。家族のことだろうか。お金のことだろうか。恋人のことだろうか。

 子どもながらにあれこれ妄想した。箒をウクレレに見立て「あ~あんあ、やんなっちゃったなあ」とぼやいたら、「子どものくせに、そんな言葉は言わないの!」と親から叱られた。

 その牧が、10年前の2013年4月29日未明、東京・大田区の自宅近くを流れる多摩川に飛び込み、78歳の人生に幕を下ろした。目撃者によると、東京と川崎を結ぶ中原街道が通る丸子橋から欄干をまたいで飛び降りたらしい。

 田園調布警察によると、所持品などから牧と確認。家族に伝えた。病院に運ばれたが、すでに死亡が確認された。遺書はなかった。

 私も現場に駆けつけたが、深夜でも車がひっきりなしに行き交い、結構な交通量がある。最寄り駅(東急東横線・多摩川駅)で下車し、歩いて現場まで向かったのだろう。

 それにしても、橋の上から多摩川の水面までは結構な高さだ。河川敷で生活しているホームレスの男性は「ドボーン」という音を聞いた。

「しばらくしてサイレンが聞こえた。(ドボーンという音の正体は)人なんだと思った。でもまさか、牧伸二だったとはね」

 男性は驚きの表情で振り返った。

 奇しくも亡くなった4月29日は「昭和の日」。昭和の日本で多くの人に愛された人気者が、なぜ自死を選んだのか。臨時ニュースの速報が流れ、日本中が驚きに包まれた。その年の2月には歌手・岡田旬子とのデュエット曲「ひとめ惚れ」を出し、「新曲を出せてうれしい」と周囲に話していたばかりだったのに……。

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