島田紳助が語る上岡龍太郎さんの「忘れられない言葉」 亡くなったときは「さんまから電話が来て知った」

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「君は僕の前を歩いてる」

 話は変わるけど、上岡さん亡くなった時はさんまから連絡来て。九州からキャンピングカーで帰ってきて家着いて疲れて携帯見たらさんまから連絡来てて、久しぶりに喋った。上岡さんの息子さんが僕に伝えたいからって、まず(笑福亭)鶴瓶さんに連絡して、鶴瓶さんがさんまに連絡して。で、さんまから電話があった。

 デビューしたばかりの、21歳のペーペーの僕が上岡さんに呼び出されてね。ホテルのロビーで「君を観た」と評価してくれて、そっから仲良くさせてもらいました。僕が辞めて2、3年した頃に会(お)うた時、向こうからニコーッて笑いながらやってきて「どう? 毎日が楽しいやろ」って。時々一緒にゴルフ行ってました。でも肺が悪かったから、いつも「これで最後かもな」と言うてはりましたよ。で、コロナなってゴルフ行けなくなって、ぼちぼち行けるんちゃうかなって思ってた矢先に。ショックでした。

 上岡さんの引き際は、自分の中で心の師匠やから見習って。僕も辞める時は「辞めます、引退します」って言って辞めようと思ってね。上岡さんには自分の美学があってね、タレントは長年やってるとおもろくなくなるじゃないですか。上岡さんはいつかそうなった時に、アカンねと言われたくないんやと。侍は自分で切腹するんや、自分の終わりは自分で決めるんやと。だからあの年で辞めはった。その時、「辞めないで下さい、21歳の時から上岡さんが僕の道しるべや」と手紙を送ったら、その返事にも感動した。「君は何か勘違いしてるんじゃないか。僕が君の道しるべ? 違うよ、随分前から君は僕の前を歩いてるんだよ」と。最後までダンディーな人でしたわ。

今でも贈り物をくれる芸能人

 現役時代はそれほど接点なかったのに、僕が引退した後も義理堅く贈り物とかしてくれる人もいます。叶姉妹さんなんか、何回か番組に来られたくらいで、ご飯も行ったことなく、なんかキャラ的に仲良くできそうな感じやないじゃないですか。そやのに12年たつけど盆と暮れにお中元お歳暮贈ってくるんですよ。カタログギフトを。初めの頃は、僕が復帰した時に役に立つと思ってるんかな、と考えてたけど、ありがたいよりも申し訳ないが千倍ですわ。

 IKKOさんは毎年誕生日に手紙とバカラのグラスを贈ってくれるんですよ。もう復帰しないからやめてくれって何回も言ってるんですけど、お世話になったからって。IKKOさんは1回くらいご飯行ったことありますよ。やっぱなかなかの男でっせ、IKKOさん。僕は反省しますね。僕はIKKOさんをちゃんと愛して仕事してたやろかって。そんな思いで叶姉妹さんにも接してたやろかって。胸が痛いです。アッコさんなんか、恩返しできないまま終わってるから申し訳ない。

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