島田紳助が語る上岡龍太郎さんの「忘れられない言葉」 亡くなったときは「さんまから電話が来て知った」

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 前編ではガーシーとの本当の関係や、不倫で世間を騒がせた広末涼子への思いを語った島田紳助(67)。後編では今年5月に亡くなった上岡龍太郎さんとの思い出や、同期の明石家さんまへの思いについて熱く語ってもらった(前後編の後編)

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〈YouTubeをめぐっては、オリエンタルラジオの中田敦彦が自らのチャンネルで、ダウンタウンの松本人志に対する「提言」を発表したことも波紋を呼んだ。「提言」の内容は、松本が「M-1グランプリ」を始めとするほとんどのお笑いコンテストの審査員を務めていることへの苦言に他ならなかった。〉

「M-1」がらみでもめると僕が責任感じんねんな。作った本人が。「M-1」作る時、審査員どうしよってなって、松本に頼んだねん。やっぱ若手はみんな松本尊敬してるから。リスペクトされる人間が審査せんとアカンし、僕もあいつが正しいと思うし。僕が番組を企画した時に一番の問題が審査員のことやったんですよ。審査員が点数をつけるってことは、全国の観てる人に、審査員が審査されてるんですよ。この人の笑いのセンスは正しいのかって。審査員引き受けるんはリスク背負うことなんです。

 あと、「M-1」頼むわ、と松本に言うて引退したから、そういうトラブルがあると責任感じる。松本も嫌やろうけどね。そんなん言われてまでやりたくないかもしれんから。

 まあ、今は「M-1」は2年に1回にすべきやね。毎年したらビックリするようなヤツ出てこうへんからね。オリンピックも4年に1回やから見たこともないすごいヤツ現れてくるでしょ。「M-1」も2年に1回にしたらええと思うわ。

「さんまがいなければ…」

〈松本人志は紳助にとって後輩であり盟友。一方、紳助が「戦友」と評するのが、明石家さんま。そして、「心の師」として仰いできたのが、5月19日に肺がんと間質性肺炎のために81歳で亡くなった上岡龍太郎である。〉

 さんまとは年も一緒で、18歳で吉本入って、同期なんですよ。あいつは仕事に一生懸命じゃないですか。僕はいらんことばっかするんですよね。でも、あいつが頑張っているから、僕も頑張ろうってなれる。あいつがいなかったらもっとちっちゃいタレントで終わってましたわ。大きな志持たせてくれたんはあいつですね。

(吉本興業前会長の)大崎(洋)さんとも若いころからの戦友です。辞めるって聞いてビックリしましたけど、辞めても辞めなくても一緒に付き合っていく仲なんですよ。だから宮迫がピンチの時にあいつのYouTubeに電話出演する時も、大崎さんにだけは報告してね。スジ間違ったらアカンから。

 宮迫は僕が辞めた後に2年に1回とか会いにきてくれてたんですよ。東野(幸治)とかと一緒に。ただ、最近は連絡してないですね。焼肉屋始める時に電話がかかってきたくらい。でも、行くか、東京なんか、と。僕は受けた義理はもう返した、と。

 宮迫の地上波復帰は無理でしょうね。なんか僕らにはわからん確執が吉本との間にあるみたいですね。

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