ジョン・レノンが「ハッケヨイ、ノコッタ」とちょっかいを出してきて… 横尾忠則が明かすレノン&ヨーコ夫妻との想い出

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 僕がかつてグラフィックデザイナー、イラストレーターだった時代には同業者の友人がいた。灘本唯人、宇野亞喜良、和田誠の3人は特に親しかったけれど現在灘本さん和田君はすでにいない。画家に転向してからは、画家の友人はいたけれど、その大半はすでに鬼籍の人となり、残ったのはオノ・ヨーコさんだけになってしまった。

 彼女に会ったのは1969年のニューヨークでだった。画家のジャスパー・ジョーンズから、君に是非紹介したい人がいるので明日のハロウィンのパーティに来ないかと電話で誘われて、ジャスパーのアトリエに行った。「紹介したい人」というのはジョン・レノンとオノ・ヨーコのことだった。ヨーコさんとは初対面だったけど、すぐ友達になってしまって、次の日、早速、家に遊びに来ないかと招待されて、まだダコタハウスに移る前の小さい長屋の、目立たないワンルームの家だったが、そこに遊びに行った。ヨーコさんも日本人のアーティストの友人がいなかったので大歓迎されて、ジョンとヨーコさんのベッドインする、ベッドの横で実に奇妙な晩餐会のご相伴にあずかることになった。

 ヨーコさんはよほど日本へのノスタルジーが強かったのか、ジョンを無視して、僕とばかり、日本の話をするので、ヨーコさんに相手にされないジョンは、自分に関心を持たせるために、様々なデモンストレーションを演じるのだが、それがおかしくって仕方がなかった。ヨーコさんと僕が夢中になって話し始めると、チョッカイを出したくなるのか、ジョンは二人の会話を阻止するために日本語で「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」と相撲の行司のマネをしたり、プレスリーの「ブルー・ムーン」を僕にヘッドフォーンで聴かせたり、山ほど買ってきたカウボーイシャツを次々と着てみせたり、タイムズスクエアーで売っている鳥のブーメランを部屋の中で飛ばしたり、かと思うと突然ピアノを弾いてみたり、僕にフォトセッションをやろうよと持ちかけたり、とにかく、じっとしていないジョンだった。

 そして次の日、正月特別番組のデビッド・フロスト・ショーというテレビに出演するので、一緒に出演しようよと誘われた。タイムズスクエアーのテレビスタジオでのライブコンサートに僕も引っ張り出されて、紙ヒコーキを飛ばすパフォーマンスを演じることになった。ジョンとヨーコとのジョイントコンサートに参加したのは僕の一生の想い出になった。

 その後、ジョンは不慮の死を遂げることになるが、その現場のダコタハウスの入口で、僕は足を滑らせて転倒してしまった。その場所はジョンが銃で倒れたのと同じ場所だったが、守衛の人達やヨーコさんらに囲まれて、僕は地面に倒れたまま、頭上で輪になって僕を見下ろす人達の顔を下から見上げた時、ジョンが丁度このようなシチュエーションであったような気がして、まるで撃たれたジョンと同じ気持ちになったものだった。

 ジョンの亡きあと、ヨーコさんはしばしば日本に来るようになって、来日するといつも必ず僕のアトリエに遊びに来てくれるようになった。そんなある日、チェコの美術館の館長やキュレイター、大使館の人とアトリエで展覧会の打ち合わせをしている時、突然ヨーコさんがやって来た。その時のチェコの人達の驚き方は、まるで立ったまま凍結してしまっているかのようだった。まさかのまさか、世界の超有名人が現われたものだから、彼等は言葉を失ったままだった。翌日、チェコ大使館から、「こんなスーパースターと友人のヨコオなら、問題なくチェコでの個展はOK!」というおかしな理由で話がすんなり。

 ヨーコさんが何回アトリエに来たかは憶えていないけれど、とにかく来日の度に遊びに来てくれるのは僕の楽しみのひとつになっていた。ヨーコさんが最後に来たのはコロナ禍の寸前だったと思うが、突然ニューヨークから電話があって、「横尾さん、ニューヨークに来ない?」と。「体調がもうひとつだからヨーコさんがこっちにおいでよ」と答えると、数日後また電話があった。「あなたが来ない、と言うから来たわよ」とまるでコンビニに行くような感じで、その衝動的な行動に僕は腰を抜かすほど驚ろいた。

 そして次の日は京都、さらにその次の日はロスアンジェルス。彼女の神出鬼没の行動には、あきれて、言葉もない。こういう友人がいつも近くにいてくれれば、どんなに刺激になって、どんどん絵が描けていくんだろうなあと、いつも、遠いニューヨークに想いをはせて、もう一度、会いたいと思うのであるが、中々身体が思い通りに動いてくれない。そんなグチをこぼすとヨーコさんには「だって、私は車椅子に乗ってまで日本に行ったじゃない!」と叱られそうな気がする。ジャスパー・ジョーンズからは作品もいただいているけれど、彼の最大のプレゼントはなんと言ってもヨーコさんとジョン・レノンであった。

 永遠の友、ヨーコ・オノ&ジョン・レノンには向こうに逝くまで会えないのかな?

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2015年第27回高松宮殿下記念世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。22年度日本芸術院会員。

週刊新潮 2023年7月27日号掲載

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