上地雄輔、ココリコ遠藤、阿部サダヲ…高校野球で奮闘した芸能人 プロで活躍した“名選手”と対決したケースも

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ココリコ遠藤は「打てなかったら、きっぱりやめよう」

 中学時代に7校から勧誘され、1987年に野球留学1期生として入学した香川・寒川高で主将を務めたのが、ココリコの遠藤章造である。

 1年生でベンチ入りした遠藤は、2年時は2番・ショート、3年時には3番・セカンドと順調にチームの主力に成長。「選手としては、わりとずる賢いプレーをする、いやらしい選手でした。体が小さかったので、パワーでは勝てない」(自著『吾輩はアホである』、ヨシモトブックス)と回想している。

 最後の夏は、初戦で香川中央に10対3と大勝し、好発進するも、次の3回戦で同年の甲子園ベスト4・尽誠学園と対戦。初回に谷佳知(オリックス→巨人)の先頭打者本塁打、2回にも谷の犠飛で1点を追加されるなど、小刻みに失点を重ね、左腕・宮地克彦(西武→ソフトバンク)を攻略できないまま、0対7と8回コールド負けした。

 4打数無安打に抑えられた遠藤主将は「宮地投手はほとんど直球で勝負してきた。高めの球には手を出さないつもりだったが、球が速く、振らされた。思いきりやったので悔いはありません」(1989年7月24日付・朝日新聞香川県版)と語っている。

 最後の打席は「ヒットを打てたら、野球を続ける。打てなかったら、きっぱりやめよう」と心に決め、右中間に長打性の快打を放ったが、谷に好捕され、アウトに。芸能界に進むきっかけを作ったのは、谷だとも言える。

 ちなみに、中学時代に野球部のチームメイトだった相方の田中直樹も大阪・桜塚高入学後、野球部に入ったが、練習がきつくて退部し、ハンドボール部に入り直した。

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