「人生の楽園」を夢見て“移住”の落とし穴 田舎暮らしで成功するのは“ハイスペック人材”ばかりの理由

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行動が筒抜け

 私の場合、「人生の楽園」的な明るく前向きな移住生活ではなく、ただただ「都会はもういいか……」という後ろ向きな理由から移住をした。47歳まで激務だったし、正直「燃え尽き症候群」のような状態になっていたのだ。そこで、それまでレギュラーで携わっていたネットニュースの仕事をやめ、通勤も不要なフリーライターに戻った。今は半隠居生活をしながら、2ヶ月に1回、テレビ出演のため出張で東京に行く。何しろ人混みが嫌いなので、今の状況は至極快適だ。それでいて、東京時代の人とも接点が続いているのもありがたい。

 幸いなことに唐津では友人も多数でき、日々楽しく過ごせるが、こうなったのも私に情報発信をする術があったからだろう。何しろ私はコラムを多数書くため、必然的に唐津や佐賀の情報を発信するという特殊な立場にあり、それが重宝されている面もある。あとは、酒の付き合いが良い、というのもあるだろう。とにかく佐賀の人は酒を飲む。ありとあらゆる誘いに乗っかっていたら、飲み友達が次々とできてしまった、ということだ。

 不思議な話だが、渋谷にいた頃、知り合いに道で挨拶をすることなど滅多になかった。だが、今は自宅とスーパーを往復するだけで3人と挨拶するなんてこともザラ。青果店や電気店の店主とも挨拶をするようになった。しかも、仰天したのが、顔見知りになったドラッグストアの薬剤師は系列のコンビニでも働くが、そのコンビニの店員が私の動向を把握していたことだ。私は今年2月から5月までタイへ行っていたのだが、その薬剤師は、コンビニの店員から「あの人最近見ないね」や「あの人帰ってきたみたいですね。良かったです」と言われたという。派手なリュックを常に背負っているせいで目立つのかもしれないが、行動が筒抜けなのである。

環境より人間関係

 これが煩わしいと感じられる人は、駅近くでも地方に住むのは難しいだろう。ましてや、より田舎に行くとこれがさらに濃厚になる。何しろ「村の寄合があるけん、街に出られるのは20時ぐらいやな」「近くの爺さんが行方不明になったので消防団で捜索せないかん」「イノシシが近くの農家の柵を壊したけん修理に行ってくる」なんて言葉が日常用語として使われるのである。だからこそ「個人の時間を大事にしたい」なんて言い分は田舎では通用しない。

 その姿勢を貫くと発生するのが村八分である。以前、某地方都市・A町と東京と軽井沢の三拠点生活をしているフリーランスの男性から聞いたのは、A町ではゴミを出せないということだった。三拠点生活ということもあり、様々な会合に参加できないのと、個人の時間を大切にしたいから、と町内会に入るのをやんわりと断った。軽井沢も別荘地のため、個人の時間が尊重される。しかし、A町で告げられたのは「あなたはゴミ捨て場を使ってはいけない」ということだ。調和を乱し、地域の空気を澱ませるわがままで不埒なヨソ者と捉えられたのだろう。結果的に同氏はゴミを出す時は大家の家まで車で毎度運ぶのだという。

 移住する理由は「海が気に入った」や「土地が安く念願の手打ちそば屋を始めたかった」など様々だが、地方では環境や自分の願望より人間関係の方が重要である。都会の生活スタイルをそのまま維持しようとするならば「だったら帰ればいい」と言われてしまうこと請け合いだ。というわけで、「人生の楽園」を見て移住に憧れる人はむしろ私が紹介した4冊の本を読んだ方がいい。移住決断はそれからだ。また、いつでも帰ってこられる場所は用意しておいた方がいい。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。最新刊に『よくも言ってくれたよな』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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