男性を遭難へ導いたのは「看板の45度のズレ」だった?プロファイリングで導いた可能性とは
「山に出かけた家族が、帰ってこない――。」
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民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)のメンバーと代表の中村富士美氏は、思いも寄らない事態に戸惑う家族から依頼を受け、山へ捜索に向かう。
自宅に秩父の山の地形図を残し、ある60代男性が行方不明になった。中村氏は家族へのプロファイリングを通して男性のたどったルートを推理し、捜索を続ける。そんな中、地元の人からある気になる話を耳にし……。
現場のリアルな様子を、中村氏の初著書『「おかえり」と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から』より一部抜粋してお届けする。
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残されていた地形図
真面目な性格で、仕事も無遅刻無欠勤だった60代の男性Mさんが、2018年3月のある月曜日に無断欠勤した。
Mさんは、都内在住。同居していた両親はすでに他界し、一人暮らしだった。連絡も入れずに会社を休んだことを不審に思った社長が、地方に住む兄妹へ連絡した。兄妹がMさんの住むアパートを訪問したところ、プリンターの上にプリントアウトされた列車の乗換案内やバス時刻表等と共に一枚の地形図が残されていた。埼玉県の群馬県寄りに位置する秩父槍ヶ岳(標高1341メートル)のものだった。その名の通り、槍のように切り立つ急峻な峰や断崖絶壁が多いのが特徴の山である。地形図には、Mさんが登ろうとしたとみられるルートも書き加えられていた。
携帯電話へ連絡してもつながらない。兄妹は「この山で遭難したのかもしれない」と考え、捜索願を提出した。この時点で、Mさんが山に入ったとみられる3月18日から2日が経過していた。
翌21日から、管轄警察と地元の有志による捜索活動が始まる。
捜索初日、季節外れの低気圧の影響を受け、秩父は朝から春の大雪となった。
みるみるうちに雪が積もり、捜索活動は困難を極めた。天候の回復と雪が融けるのを待ち、捜索活動を再開できるようになるまでに、10日も掛かってしまった。
遺留品すら見つからず、Mさんが行方不明になって21日後の4月7日、捜索は打ち切られることになった。
ご家族から私たちへ捜索依頼が入ったのは、捜索終了の翌日のことである。
遭難者のプロファイリング
私は捜索依頼を受けたら「遭難者のプロファイリング」を行う。
まずご家族に話を聞きながらメモを書く。一言一句、語尾やニュアンスも聞き漏らさないように集中して聞くようにしている。遭難発覚からすぐのタイミングでは、冷静に順序立てて話すことが難しい場合もある。私は聞き取った話をメモに書き留め、まとめ直して隊員と共有する。
ご家族に必ず聞くのは、遭難者の名前、年齢、何年くらい山登りをしているのか、これまでどういった山に登ったことがあるのか、性格や職業、登山以外の趣味である。普段の癖や山に行く前にどういった会話をしたか、なども聞く。例えば「いつも、下山したところでメールを送ってくれるのに、昨日は届かなかったです」と聞けば、「山の中で何かトラブルがあって、下山できていないのだな」と推測できる。何が捜索のヒントになるか分からないので、ご家族が話せることから少しずつ話を広げていき、できるだけ多くの情報を教えてもらうようにする。
中でも私が最も気を付けているのは「自分の先入観を、家族の言葉に付け加えない」ことである。例えば、ご家族が「道に迷ったのかもしれない」と言ったら、その通りに書く。ここで「道に迷ったと思われる」と書き換えてしまうと、遭難者が道迷いをしたことが確度の高い情報と読み取れてしまい、捜索範囲の選択肢を狭めることにつながってしまうからだ。
もちろん一度だけの聞き取りではすべての疑問を解消できないし、ご家族の方も、初対面の人間に全てを話せるわけではない。何度もやりとりをして信頼関係を築いたからこそ、ぼそっと漏らしてくれた一言が大きなヒントとなることも多い。そのため、聞き取りは何度も丁寧に行うようにしている。
私が看護学生だったときの授業で「患者さんそれぞれへの看護アプローチや、退院後の社会復帰について検討するために、一枚の紙に、家族構成や性格、趣味、何に困っているかなど、患者さんを取り巻く要素をまとめてみましょう」という課題があった。こうした情報をまとめることで、患者さんの全体像を理解すると共に「奥さんが亡くなっていて、家族は娘さんだけ」という情報からは「退院後、娘さんは面倒を見ることができるのか?」と思いが至るし、「音楽が趣味」ならば「病室でも、好きな音楽を聴いてもらおう」という発想にもつながる。
「もしかしたら、遭難者のことを知るためにも役立つかも」と思い、捜索に取り入れ始めたのが、プロファイリングのスタートだった。
また、ご家族に「家の中で、登山道具などを確認してほしい」とお願いをすることもよくある。これには主に2つの理由がある。
まずは、ご家族に落ち着いてもらうため。何か作業をすることで、徐々に気持ちも整理されてくるし、「山に入らなくても、自分も捜索の役に立っている」と思ってもらえる。中には登山経験がないのにもかかわらず、自ら山に入って捜索を行おうとするご家族もいる。精神的に混乱しているご家族が山中に入れば、冷静な判断ができず、時に二次遭難を起こしてしまいかねない。ご家族の気持ちを方向転換することで、二次遭難、三次遭難を防ぐ効果もある。
また、自宅に残された登山道具や地図、登山に関わる書籍などの確認作業は、ご家族だからこそできることだ。ご家族にしかできない役割を担ってもらえたら、という気持ちもある。
両手はふさがっている
Mさんについても、ご家族から登山中の写真を見せてもらい、これまでどんな山に登っていたのかなどを伺った。登山経験はそれなりにあり、いつもひとりで山に行く。秩父三十四ヶ所観音霊場巡りをしていて、行方不明になった秩父には何度も足を運んでいた……。
中でも私が注目したのは、Mさんが手に持っていた「ストック」である。写真を見ると、Mさんはどの山に登る時にも、必ず両手にストックを握っていた。手がふさがっていてはクライミングのように岩を登ったり、ロープを伝ったりすることはできない。Mさんは難所の少ない一般登山道を登るタイプなのだと推測した。
秩父槍ヶ岳の尾根は数本あるが、どれも急峻な地形で、尾根と尾根の間はV字の谷のような状態だ。そして、谷の底には沢が流れている。
山頂へ行くためのルートもいくつかあるが、整備された登山道はひとつだけ。沢沿いから登山道が始まり、尾根に登り、稜線に出て登頂するというものだ。Mさんが自宅へ残した地形図にも、この一般登山道がルートとして記されていた。
実はこの山には山頂を目指すルートがもうひとつある。山頂へダイレクトに登ることができるルートだが、険しい岩場やロープを使用しなければならないほどの難所もあり、遭難事故が絶えないため封鎖され、立ち入り禁止の看板とロープが張られている。しかし、近年ではSNSの普及から、こうしたルートをネット上で紹介している人物もいるため、このルートから山頂を目指す登山者もいる。当初進められた管轄警察と地元の有志による捜索活動も、危険度の高いこの立ち入り禁止ルートを中心に行われていた。Mさんが当初の登山予定を変更し、過去に多くの遭難が発生しているダイレクトルートを利用したのではないか、と考えたようだ。
だが、そこは幅の狭い急峻な尾根だ。その上、時には岩場を登るため四つん這いになったりしないといけない。もちろん、Mさんがいつも利用しているストックなど、使う余裕はない。Mさんが、難所が多く存在し、立ち入り禁止の看板がある入り口のロープを越えてまで、このルートを選択したとは考え難かった。
私たちは、Mさんは当初の予定通り一般登山道から登ったと考えた。
一般登山道から山頂を目指した場合、稜線へ出るまでの間で道迷いや転滑落の危険性は極めて低い。道迷いや転滑落の事故が起きたとしたら、登り始めてから1時間半~2時間後にたどり着く、起伏の激しい稜線上である可能性が高い。標高は山頂とほぼ同じだが、整備されていない樹林帯で、登山道が分かりにくい。また、急峻な地形のため一歩登山道を外れてしまうと、数十メートルから場合によっては数百メートル下まで滑落してしまう危険箇所が多く存在する。
看板の向き
捜索中、警察の捜索に協力していた地元の方から、ひとつ気になる話を聞いた。
一般登山道を登って稜線上へ出た所で、道はT字路となる。そこには「槍ヶ岳」という文字と、山頂への方向を示す矢印が描かれた看板が木にロープで結び付けられている。
Mさんの遭難直後に、その協力員の方が看板を見たら、風でロープが動いてしまったのか、看板の矢印が正しいルートから45度くらいズレていた。そのため反対側を示しているように見えた、と言うのだ。
このT字路をちゃんと右に曲がれば山頂に着く。もしかして、Mさんは間違った方向にズレていた看板を信じて、山頂とは反対側へ向かったのか?
それは少し信じ難かった。なぜなら、Mさんが登った日は天気も良く、一般登山道を登っていれば、右側にしっかりと急峻な地形と山頂を望めていたはずだからである。協力員の方も「さすがに左には行かないと思うんだよね」と話していた。
だが、どうしてもこの話が頭から離れなかった。
そこから、私たちが考えた可能性は3つになった。
1 一般登山道を進み、稜線上まで出た後、尾根をいくつも越えていく中で道迷いをしてしまった。
2 一般登山道を進み、稜線上まで出た後、滑落などアクシデントに見舞われて動けなくなってしまった。
3 間違った向きになっていた看板を信じて、正しい方向とは逆に進んでしまい、その先で道に迷ってしまった。
可能性1について、捜索隊が迷い込みの可能性がある箇所を捜索する中で、現在は使われていない廃道が存在することが分かった。廃道にはところどころに古い目印があり、それをたどっていくと、集落へ下りることができた。ただ実際に歩いてみると、私でさえ、GPSで自分の現在地をしっかりと確認しないと不安になるほど荒れていた。
可能性2については、稜線からロープを伝って下まで降りて目視による捜索を行い、また、危険度の高い箇所はドローンを飛ばして稜線までの間を撮影し、画像解析を行うという捜索も行った。
そして、第3の可能性。T字路で反対方向に行ってしまった場合、山頂とは反対方面の稜線に登山道は存在しない。道迷い、転滑落のいずれの可能性もあり、捜索範囲も広大になる。
山の中の目印
山中には、木に結び付けられたリボン、岩などにペンキで描かれた丸やバツなど、いろいろな「印」がある。
これらは、誰が付けた印なのか。林業家による印であったり、きのこ狩りに来た一般の方によるもの、もしくは地元の方が「自分たちの目印」として付けたものなど様々である。それを登山道の印だと勘違いし、遭難してしまう人が非常に多い。
もちろん登山道を示す印も多く存在する。それが本当に登山道を示すものなのか、または別の目的で付けられた印なのかをよく見極める必要がある。
登山の際には、山中の目印だけを頼るのでなく、地図を読んで登ってほしい。そして常に「万が一」の可能性を頭に入れて、行動することが大切だ。
T字路の先には
話をMさんに戻そう。先ほどあげた可能性1、2を想定した地上捜索を中心に、稜線へつながる沢や廃道の捜索も実施した。
ただ、地上隊が入るには難しい箇所も多く、ドローンを利用して沢や稜線からの転落の危険性がある箇所の映像を何度も撮り、それを画像解析してMさんを探した。
2ヶ月近く捜索したが、Mさんの発見には至らず、梅雨入りと青葉の時期を迎えた。山は茂った葉で見通しが悪くなって、捜索の継続が難しくなった。
ご家族と話し合い、捜索活動は一度休止して、秋の落葉後に再度捜索を行うこととなった。
「もう、全て見尽くした」と思えるほど、捜索をした。しかし、一ヶ所だけ、どうしても私たちの捜索が間に合わなかった箇所がある。
それは、T字路に付けられたあの看板を信じ、山頂とは反対方面へ向かった場合にたどり着くであろう1本の沢だ。
もし、MさんがT字路の看板がズレていたため、間違った方向の左に進んでしまったとしたら、その先には軽自動車くらいの大きさの岩が目の前に現れたはずだ。この大きな岩を見てMさんはどう思ったのだろう?
「この先には進めないな」と思い、行き止まりだと判断するはずだ。しかしよく見ると、岩を迂回して先に進むことができるようにも思える。その先は急な斜面になり、沢の水源(登山用語では「源頭」という)に突き当たる。
Mさんがこちらに進んでいたとしたら……。そのまま沢へ下っていったであろう。沢に行き着いたMさんは、おそらく滑らないように、滑らないように……濡れた岩や石を掴み、足元を確認しながら慎重に沢沿いを下っていったはずだ。
沢を下っていくと、二段になっている滝がある。そこもドローンで動画を撮っていたが、「沢の中は、現場に行かないと分からない。ここは、実際に行ってみる必要がある」と隊員間で話をしていた所だった。
LiSSでは毎回、それまでの捜索活動の内容を報告書にまとめ、ご家族と管轄の警察に提出するようにしている。警察への情報提供は義務とされているわけではないが、私はこうした情報提供によって私たちの捜索活動への理解を得られるとともに、捜索実施範囲の共有ができると考えている。この時も、これまでの捜索過程と未捜索範囲をまとめた報告書を管轄警察へ郵送した。
後日、一本の電話を受けた。私たちが提出したこの報告書を受け、未捜索であった沢を警察が捜索してくれることになったのである。
そして、この沢からMさんは発見された。
発見から数日後、Mさんは秩父市内で荼毘(だび)に付された。
私たち捜索隊員も参列させていただき、Mさんをお見送りした。
ご家族は、「弟が山で遭難してから時間が止まったままでしたが、見つかった日から時計の針が少しずつではありますが動き始めました」と、とても穏やかな表情で話してくれた。Mさんは3ヶ月半振りに自宅へ帰られた。
※『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋・再編集。