日本の海運を守るために必要なことは何か――長澤仁志(日本郵船取締役会長)【佐藤優の頂上対決】
ロシアと日本
佐藤 国際海運は、世界情勢にも大きく左右されます。1年半も続くロシアのウクライナ侵攻では、どんな影響が出ていますか。
長澤 非常に広範な影響を被っています。一つはもちろん、トレードの問題です。黒海は、日本郵船の長い歴史の中で、昔から非常に大きなマーケットでした。穀物や鉄鉱石を運ぶバラ積み船を運航していましたが、現地に寄港できなくなりました。また侵攻当初には、ウクライナの港に停泊していた3隻が動けなくなった。
佐藤 黒海には機雷が敷設されていますし、ミサイルも飛んできます。
長澤 またロシア制裁によって、サハリンに行き来する船や、ロシアでのさまざまな事業にも大きな影響が出ています。
佐藤 サハリンは天然ガスですね。私はそこから日本が撤退することはないと思います。非常に重要なエネルギーの供給源ですし、岸田総理のお膝元の広島ガスは、サハリン産のLNGが5割を占めています。
長澤 船については、保険や船籍なども問題になったんですね。船は保険なしでは動かせません。保険会社に船舶戦争保険を停止する動きがあったので、大変でした。また経済制裁を行っていますから、船籍や乗組員の国籍なども問われてきます。佐藤さんは、今後の日露関係をどのように見ておられますか。
佐藤 京都大学教授だった故・高坂正堯氏は、国際政治を、価値の体系、利益の体系、力の体系の三つから成り立っていると指摘しています。
長澤 興味深い見方ですね。
佐藤 まず価値の体系では、日本はアメリカや欧州各国と価値観を共有しています。G7広島サミットでも、それを確認しました。
長澤 岸田総理は、立派にリーダーシップを発揮されたと思います。
佐藤 次に利益の体系を見ると、日本はサハリン産のガスを買っています。1日に30億~40億円くらいがロシアに流れている。またロシア産の石油の上限価格について日本は来年9月まで適用除外ですし、航空機がロシア上空を飛ぶことも禁じていない。また海産物も輸入を続けています。だから価値の体系とは違うことが行われている。
長澤 なるほど、そうみることもできますね。
佐藤 それから力の体系では、日本はウクライナに殺傷能力のある装備品を供与していません。また金銭的支援も総額でアメリカの100分の1以下しかない。自衛隊の車両100台に55万ドル分の反射材と使い捨てカイロ、携帯食料と、欧州の戦車や戦闘機供与とは比較にならないレベルの援助です。ですから岸田政権はかなり巧妙に立ち回っている。
長澤 ロシアは広島サミットをどうみたのでしょう。
佐藤 日本が殺傷能力のある武器を送るとは言い出しませんでしたから、「まあ、いいんじゃないの」という感じでしょう。少なくともロシアを怒らせることはありませんでした。この戦争もいつかは終わります。その時、殺傷能力のある兵器を供与していない日本は、仲介者になれる可能性があります。
長澤 私は一般メディアの報道を見ているだけですが、この戦争はなかなか終わりそうにないな、という感じがしています。
佐藤 私は10年戦争になってもおかしくないとみています。この戦争全体はアメリカによって管理されており、その目的はウクライナに勝利させることではなく、ロシアを弱体化させることですから。
長澤 ロシアの原油はインドや中国に流れていますから、なかなか弱体化も進まない。
佐藤 私はこの戦争が中東情勢に影響を与えるのではないかと思っているんです。
長澤 中東ですか。
佐藤 エマニュエル・トッドという懇意にしているフランスの人口学者がいます。彼は、この戦争はアメリカが引っ張り、その力が強まっているように見えるが、実際は弱まっている、だから同盟国の潜在力をどんどん引き出す形になっている、と言うのです。それなら中東へのアメリカの関与も弱まっており、力の空白地帯が生まれている可能性がある。
長澤 中東は貨物の運び先でも、燃料の調達先でもありますから、専門家の話をよく聞きます。でもなかなか状況がつかめないですね。
佐藤 5月にサウジアラビアで開催されたアラブ連盟首脳会議に、13年ぶりにシリアのアサド大統領が参加しました。つまりサウジとシリアが手打ちをした。これは背後でロシアが動いていたのですが、アメリカの力が弱まったことで、現実にさまざまな動きが出てきています。
長澤 少し前にはUAEとイスラエルが国交を樹立するなど、確かにあり得ないことが起きていますね。
佐藤 中東をはじめ、世界が非常に流動的になってきています。国際海運は今後も難しい舵取りを余儀なくされる気がします。
長澤 日本は島国で、輸入の99.6%を海運に頼っています。ですから日本の経済安全保障上、私ども船会社はたいへん大きな責務を担っている。これはきちんと果たしていかねばなりません。
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