娘の大学合格を確認した晩、スナック勤務の不倫相手と駆け落ち…49歳男性が結婚生活に感じていた違和感の正体

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4年を経て、離婚

 首都圏に落ち着き、仕事も得た。いつまでも行方不明のままでもいられないから、連絡をとったほうがいいと志帆さんに言われ、1年前、ようやく妻に電話をかけた。妻は「早く離婚届を書いてほしい」と言った。元気だったのとも言われなかった。おそらく、妻も義父母も自分を探したりしなかったのではないかと彼は感じている。

「その時点で、家を出ていつの間にか4年がたっていましたからね。でも正直言って、充実した4年間だった。充実したというより、僕に似合った年月というか。その前の結婚生活はいつも、違和感がありましたから」

 居場所を特定されたくなかったため、彼は妻と会って離婚届を書くと告げた。妻に指定された喫茶店に行くと、妻ではなく娘がいた。

「就職したよと娘は言いました。まぶしくてまともに見られなかった。ごめんと頭を下げました。『おとうさんにはおとうさんの人生があるから。そういうことでしょ』と娘は淡々と言った。見放されたような、でもこれでいいんだと思うところもあった。頼りない父親だったと言ったら、『父親であることからは一生、逃れられないよ』と。どう受け取ったらいいかわからない言葉でしたが、娘はサインした離婚届をもって立ち上がりました。『就職したから、私、あの家を出たんだ』と娘が言ったとき、ああ、娘はオレに似ていると思いました。娘から連絡先を教えてと言われて、一瞬ひるんだんですが、娘を信用して教えました」

 離婚届は無事に提出されたようだ。妻と縁が切れたことに寂しさはあったが、解放感も大きかった。

「僕は逃げたんですよ、結局。あの家からも妻からも。それがよかったのかどうか、今はまだわかりません。志帆への情熱がそうさせたのか、もともと逃げたいところに志帆との関係が転がり込んできたのか、それもよくわからない。でも僕の落ち着き先はここだったのかもしれないと今は感じています」

 志帆さんとふたりで、スナックに顔を出した。ママは怒りながらも歓迎してくれた。

「温室で咲く花もあれば、野に咲く花もある。やはり野に置けレンゲソウっていう感じですかね」

 志帆さんと婚姻届を出さないのは、逃げた自分が安穏と再婚していていいのかという思いがあるからだという。志帆さんも同意の上だ。

「ふたりで働きながらひっそりと暮らしていく。今はそれだけでいいんです」

 後ろめたさを抱えながら、似合わない生活をしていた自分を半分呪いながら、だが誰のせいでもない、この人生を選んだのは自分だと、忠士さんは穏やかに言った。

前編【義理の両親は心の中で僕を見下していた… 入り婿だった49歳男性が語る“我慢ならなかった結婚生活”】からのつづき

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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