義理の両親は心の中で僕を見下していた… 入り婿だった49歳男性が語る“我慢ならなかった結婚生活”
妻は味方だと思っていたが…
26歳で第一子となる長女が、28歳のときに長男が産まれ、家族の形も整っていった。麻実さんの母親がしょっちゅう家に出入りしていたが、子どもも小さいし、むしろありがたいことだと思っていた。
「ただ、麻実の両親は心のどこかで僕をバカにしていた。というか下に見ていた。大学も出てないせいでしょう。言いなりになるから娘の婿にするにはちょうどよかったのかもしれません」
麻実さんだけは味方だと思っていた。ところが子どもができたころから、麻実さんにも夫を下にみるような発言が出るようになっていった。
「麻実に悪気はなかったのかもしれない。でも子どもたちと接しながら『ふたりとも望むなら、大学や大学院に行かせたいわね。早くから英才教育をしたほうがいいみたい』と言うんです。麻実は大卒ですからね……。僕はそうじゃないから、子どもたちには小さいときから英才教育を施さないといい学校には行けないと思っていたみたい。僕の被害妄想かもしれませんが……」
被害妄想だろう。忠士さんは腕のいい職人と評判だったのだから、もっと自分に自信をもてばよかったのだが、今の時代にあっても、学歴コンプレックスを抱かされてしまうことはあるのだろう。まして彼の場合、「家族コンプレックス」もあったから、どうしても自分を肯定することができなかったようだ。
“2世帯”になりいよいよ窮屈に…
子どもたちが成長するにつれ、義両親はますます子どもの教育に口を出すようになっていった。しかも麻実さんの弟妹が家を出たこともあり、家族で実家に戻ってこいというプレッシャーも大きくなった。
「麻実も実家に戻りたがっていました。もともと僕らの自宅は麻実の実家の近くだったから、義母もしょっちゅう来ていた。これで実家に住んだら、もっと侵蝕されるのはわかっていたけど、麻実がどうしても戻りたいならそれもいいかなと思ったんです。僕の人生は麻実に捧げたようなものだったから。愛情云々ということではなくて、義両親にとっても麻実にとっても僕は扱いやすい小僧みたいなものだったんじゃないかと……。僕はいわゆる『血のつながった家族の濃厚な人間関係』に入り込むことはできなかった。自分の子どもでさえ、やはりどう考えても『他人』だよなと思ってた。良くも悪くも家族というものが苦手だったんでしょうね」
娘が小学校に入るタイミングで、一家4人は麻実さんの実家へ移り住んだ。広い家ではあったが、メインのキッチンは階下にあり、忠士さんたちが暮らす2階には簡易キッチンしかなかった。バスルームも同様で、2階はシャワーのみ。忠士さんは真冬でもシャワーですませた。階下にはなるべく行きたくなかったのだ。勤務先の社長と家でも一緒に食事をするのも苦痛だったし、タオルをもって階下のバスルームを「使わせてもらう」のも気が重かった。
後編【娘の大学合格を確認した晩、スナック勤務の不倫相手と駆け落ち…49歳男性が結婚生活に感じていた違和感の正体】へつづく
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