軍配が土俵に落ちる珍事も…大相撲で相次ぐ“行司”の失態 「土俵からの引退」を50歳にしたらどうか

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 豊昇龍の優勝で幕を閉じた大相撲名古屋場所は、3関脇の大関挑戦、新入幕・伯桜鵬の活躍、さらには遅咲き・錦木の躍進などで、新鮮な話題に富んでいた。一方、普段は目立たない行司が思わぬ話題を提供した場所でもあった。

残念な「人災」

 3日目、横綱・照ノ富士と翔猿の一番は、途中から翔猿の廻しが緩み、勝負の行方以前にそこが気になって仕方なかった。当然、照ノ富士には切実な問題で、思い切り廻しを引けず困惑していた。強く引けば、翔猿の廻しがほどけるだろう。廻しが落ちて急所が露出すると翔猿の負けになる。「不浄負け」という反則負けになるのだ。が、横綱がそのような勝ちを望むはずもなければ、相手に恥をかかせるわけにもいかない。この勝負を裁く立行司の式守伊之助は躊躇せず「廻し待った」をかけるべきだった。相撲を知るファンの大半がそれを望んでいただろう。ところが、式守伊之助は緩んだ廻しを見過ごし続けた。廻しを引けない照ノ富士は結局、中途半端な相撲で土俵を割り、おまけに腰を痛め、翌日から休場した。

 これはとても残念な「人災」ではなかったか。式守伊之助が機を見て待ったをかけ、両者にとって公平な状態を回復していれば防げた休場だったかもしれない。それだけに判断の後れと行動の鈍さが悔やまれる。

 少し補足すれば、これはもちろん、しっかりと廻しを締めずに土俵に上がった翔猿に元々の原因がある。廻しを強く締めず、相手に廻しを取られても、廻しが伸びて投げや引きつけが効かないようにする力士が少なくない。度が過ぎれば「ずるい」と思うのだが、この傾向は黙認されている。

下積みの長い世界

 そして中日8日目、新大関・霧島と翠富士の一番でまた似た状況が起こった。霧島の廻しが緩んだと見るや、この日の式守伊之助は早かった。テレビ観戦では緩んだと認識できないタイミングで「廻し待った」をかけた。それ自体は妥当な判断だったろう。ところが、ここから前代未聞の失態が始まる。軍配を肩に担ぎ、紐を口にくわえる粋な格好で廻しを結び直すまではよかったが、伊之助ひとりでは霧島の廻しを結び直せなかったのだ。しばらく苦戦した後、土俵下から呼び出しが応援に駆け付け、二人がかりで締め直す珍しい光景となった。しかも、懸命の作業に気を取られ、肩に担いだ軍配が空しく土俵に落下するのに伊之助は気付かなかった。神聖な軍配が、土俵に横たわる図は初めて見た。

 式守伊之助は現在63歳。9月の誕生日で64歳になり、来秋定年を迎える。

「三役格」と呼ばれる行司は4人いる。上から62歳、61歳、59歳、58歳。「幕内格」の9人は56歳から48歳。「十両格」も8人が49歳から45歳で、ひとりだけ40歳だ。力士なら「関取」と呼ばれる十両以上を裁くのが「40歳を過ぎてから」というのは何とも下積みの長い世界とも言えるし、スピードと変化にあふれた勝負を裁くのにその年齢で大丈夫? と心配になるのは私だけだろうか。

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