「実は他のレスラーに嫌われていた」ミル・マスカラス セメントマッチとなった伝説の一戦(小林信也)
セメントマッチも
マスカラスは、悪役が定番の外国人レスラーの中にあって稀有(けう)な善玉だった。普段は外国人と見れば「やっつけろ」と叫んでいた日本のファンが、マスカラスには心を寄せた。それほど魅力的で格好よかったとしか言いようがない。
だが、大人になってから、「マスカラスが実は他のレスラーには嫌われていた」という別の顔も知らされる。そのため突然、リングがセメントマッチ(真剣勝負)の場と化し、凄惨な試合に変わることもあった、と。
実弟のドスカラスと組んでスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組と戦った83年の世界最強タッグリーグの一戦もその代表例と語られている。
スター意識の高いマスカラスは、自分が目立つことに徹していた。そのためプロレスでは暗黙の了解とされる「技を受ける」ことをしない。「相手の良さを引き立てる」ファイトはせず、終始自分のイメージで試合を展開する方がファンは喜ぶと信じていた。そんなマスカラスにストレスをためていたのか、その試合でハンセンとブロディはマスカラスの技を受けようとせず、徹底して荒技を連発した。マスカラスも怒りを爆発させた。
「リングではいつセメントマッチになるかわからない。その緊張感が重要なのだ」
とマスカラスは語っている。
初来日から50年以上たっている“伝説のミル・マスカラス”はまだ健在、正確に言えば、引退はしていない。2019年、日本のリングに上がっている。その時76歳。全日本プロレスの「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」で来日、両国国技館でドスカラスとタッグを組んだ。相手は、カズ・ハヤシ&NOSAWA論外。全身ヒョウ柄タイツに身を包んだマスカラスは最後にロープ最上段から飛んだ! 大歓声の中、フライング・ボディ・アタックを決め、ふたりを同時にフォールした。
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