坂本龍一さんが愛用した「べっ甲柄の丸眼鏡」秘話 フランス人眼鏡デザイナーの素顔と1年前の死

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眼鏡博物館に突然現れた“有名眼鏡デザイナー”

 昨年12月、坂本氏が「最後になるかもしれない」と語ったピアノコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」が配信された。モノクロの画面の中、坂本氏が見せた渾身の演奏に圧倒され、時に涙した人は多いだろう。

 そのときに坂本氏がかけていたべっ甲柄の丸眼鏡。2012年からの5年間を追ったドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」や、4月2日の死去発表後に公開された追悼記事などでも、このデザインの眼鏡をかけた姿が強い印象を残す。坂本氏は同じデザインの黒も愛用していた。

 東京・恵比寿のレトロビル、その2階の一室に個性的な眼鏡が並んでいる。フランス生まれの眼鏡ブランド「ジャック・デュラン」のアイテムだ。その中には、坂本氏の愛用モデル「PAQUES L 506」もある。

 改めて見ると、置かれているだけでオブジェのようにも見える“強い”デザイン。この眼鏡の生みの親であるジャック・デュラン氏は、欧州を代表する有名眼鏡デザイナーの1人だ。ただし、その素顔を伝える記事は海外でも非常に少なく、坂本氏が死去する一年前にこの世を去っていたこともあまり大きく報じられていない。

「フランス人の眼鏡デザイナーと聞くと、なんだか近寄りがたいイメージですよね。でも、ジャックはまったくそんな人ではなく、普段は普通のおじさん。お酒と食べることが大好きで、冗談ばかり言いそうな明るい雰囲気の豪快な人でした」

 そう語るのは、東京・渋谷の眼鏡店「アイウェア メビウス」の山田香代子社長。大の眼鏡好きである山田氏は、郷里の岐阜県で眼鏡店をオープンさせた後、1997年に伝手もコネもない状況で東京に進出した。事業を軌道に乗せた後、その“眼鏡愛”に導かれるようにしてデュラン氏と出会う。

「2014年に展示会でフランスに行ったとき、ジュラという地域にある眼鏡博物館を訪問しました。そこで展示品の説明に現れたのが、なぜかジャックだったんです。当時の配偶者が博物館の館長だったそうですが、こちらはもちろん、ジャックのアポは取っていませんでした」

 フランス東部に位置するジュラ地方は、手工業が盛んなことで知られる。中でも眼鏡は主要産業で、その歴史は200年以上。1940年代後半生まれのデュラン氏は、この地で眼鏡職人の姿を見て育ち、眼鏡技師となった。やがて眼鏡のデザインも手掛けるようになり、70年代後半には「アラン ミクリ」の立ち上げに参加する。

「『アラン ミクリ』でのジャックは、多数のコラボモデルに参加しました。一番有名なのは、フィリップ・スタルクとの『スタルクアイズ』ですね。私が出会った14年当時はすでに独立していて、眼鏡業界ではもちろん有名人。でも、博物館では『この古い製造機が最高なんだよ!』といった熱心な説明が続き、『本当にあのジャック・デュラン?』と思いました(笑)」

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