原発処理水問題でも浮上する“調整”という名の罠 「誰もが納得する結論」はなぜ失敗するのか
イメージで恐れる
2021年2月、福島第一原発の現状を取材しに行ったが、その後、いわき市の居酒屋で地元の若者と酒を飲んだ。刺身盛り合わせを頼んだのだが、彼はこう言った。
「この刺身盛り合わせのうち、福島産は10%です。でも、茨城産だったら大丈夫なのです。とにかく人々の心理として『福島産はヤバい』というのが完全に定着してしまいました。僕はこの状況があまりにも歯がゆい」
新型コロナ騒動でも多々見られたが、基本的には「全体最適」を考えて「恐れる人々」に合わせて調整すると、批判は少なくなるが、何も進まなくなる。そのうえ、実際は全体の満足度が低下する結果になるのである。結局「福島の野菜」「福島の海産物」が危険な食材ということにされ、もう12年4ヶ月も経過したのだ。私自身、福島産の農作物だろうが海産物だろうがおいしくて価格に納得できれば喜んで買う。同じように考える人は全国に多いのではなかろうか。一部のアンチの声が強すぎるのだ。
上記産経の記事を見ても福島の処理水(※東電の担当者はしきりと「『汚染水』ではありません」と言っていた)がとりわけ悪質ではないことは分かるが、あくまでもイメージで恐れる人が多いから調整に手間がかかっているのだ。
池袋にしたせいで
さて、この「調整」というものを国際問題・漁業問題といった大きなことから小さなことに変えてみると、いかに忖度を施しまくった調整が無駄で、結局は満足度が低くなるかが分かる。敢えて巨大な「原発処理水」という問題における調整について前置きしたが、「調整」というものは我々の日々の生活で頻繁に登場する。そして、全員に配慮して調整をした結果、失敗することは多いのだ。
一番分かりやすいのは飲み会の場所である。8人ほどの出席者全員に一切配慮せず、「新宿」「渋谷」「ミナミ」「四条河原町」「天神」などと東京・大阪・京都・福岡の大繁華街で設定すると、全員にとって違和感のない会場となり、全体の満足度は上がる。
しかし、「一人、埼玉の人がいるから……」と池袋を選択する幹事というものがいるのだ。これは、五反田やら大井町や立川の人間からすれば「マジかよ……」となる。結局、埼玉の住人にとっては「池袋でありがたい」と思うものの、他の人間からすれば「池袋って馴染みないし、遠いんだよな……」と感じる。新宿か渋谷であれば、平均の満足度が85点なのに、池袋にしたせいで78点ぐらいに落ちてしまう、ということがあるのだ。
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