なぜ高校野球の「暴力監督」は現場に復帰できるのか…アマ球界の深すぎる“構造的な問題点”

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「中学から自分で用具を買ったことがない」

 以前ほど極端ではないにしても、野球だけやっていれば学業や他の学校生活は疎かになっても許されるという風潮は少なからず存在している。とにかく野球で結果を残せば進学が保障され、そういった点に優れた指導者が評価されている点もそういう風潮に繋がっている一員と言えるだろう。もちろん中には、学業や生活面をより厳しく指導している指導者もいるが、野球の面だけに目が向いて、そういった点が疎かになっているケースが多いようだ。

 また“野球だけをやっていれば良い”という意識は、高校野球以前からも存在している。中学では、学校の部活ではない硬式のクラブチームに所属している選手が多いが、有望な小学生に対しては、用具をプレゼントしたり、月謝を免除したりして勧誘していることもあるというのだ。

筆者は以前、あるプロ野球選手を取材した時に、「中学から自分で用具を買ったことがない」という話を聞いて驚かされたが、有望な選手はチームやメーカーが早くから支援しているということは少なくないという。子どもの頃からそんな環境で育ってくれば、「野球だけをしていれば良い」という思考にもなりやすいだろう。

 もちろん早くから一つのことに打ち込み、それで成功することはもちろん素晴らしいことである。ただ、誰もが成功するわけではなく、むしろ野球で生活できるケースの方が少ないことを考えると、現在のような構造はあらゆる歪みを生むことになり、今回の指導者の問題もその一つと言えそうだ。野球は教育の一環。高校野球ではそう言われることが多いだけに、改めて現在の野球界の構造を見直すべきではないだろうか。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

デイリー新潮編集部

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