「破壊王・橋本真也」急逝から18年 数百万円の現金を持ち歩き…関係者が証言する「爆食王伝説」
「あの世でスリムになるなよ」
訃報が入り、福岡から横浜の斎場へ飛んだ高島は、面会した遺体に心の中で話しかけた。
(何やってるんですか! 豚足、持って来ようと思ったけど、バタバタしてて用意できなかった……)
すると、不思議な現象が起こった。
「亡くなって2日経ってるのに、橋本さんの両目から涙がツーっと流れたんです。他にも、安置室に僕しかいないのに、自動ドアが頻繁に開閉したりね……」
幼い頃から片親で育った橋本。その母親も高校時代に早逝。心の隙間を埋めてくれたのが、テレビの中で観るプロレスラーたちの勇姿だった。
巡業先のホテルでは、必ずドアを半分空けていた。誰かが通りかかったら部屋に呼び込むためだ。付け人の福田雅一が試合中の事故で倒れると、東京から入院先の宮城県・気仙沼まで車を夜通し飛ばした。その車を修理する際、店員が小さな傷に気づき修復しようとすると、橋本は激怒した。
「その傷はずっとそのままでいいんじゃ! それよか、その傷に触るな!」
その傷は、結局、事故で帰らぬ人となった福田が、橋本の車を代わりに運転した際に付けたものだった。
2001年3月12日、小川直也も運転中、自転車との接触事故を起こした。その際、“宿敵”と電話で話した橋本は、こう告げている。
「俺にできることがあったら、何でもするから言ってくれ!」
「好きで事故起こす奴なんていないんだから。(中略)だって、あいつが全然関係ない理由で変になっちゃったら、俺はどこに自分をぶつければいいんだよ!(中略)プロレスは恋愛と一緒だから、ほかの男が邪魔したら許さないよ(笑)」(橋本真也=「title」2001年6月号より)
「あの世でスリムになるなよな! あと、天国のリングにもポテトチップスを置いといてくれ。今度は俺も食うからさ!」
小川はそう言って、合同葬の挨拶を締めくくった。
(敬称略)