「破壊王・橋本真也」急逝から18年 数百万円の現金を持ち歩き…関係者が証言する「爆食王伝説」

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ポークウインナーと巨大パフェ

「あんたの“食”は凄かった」

 マイクを片手に、小川直也は言った。

「巡業先の焼き肉屋では、あんたと俺しかいないのに、すべての肉を5人前ずつ注文。シメは、大盛りライスを特上カルビ2人前の肉でノリ巻きみたいに巻いて食っていた……」

 2005年7月30日、青山葬儀場(東京・港区)で行われた「橋本真也 プロレス界・プロレスファン合同葬」にてのヒトコマである。破壊王・橋本真也が急逝したのは、18年前のちょうどこの時期。死因は脳幹出血。40歳の若さだった。7月11日に亡くなり、16日には告別式、30日には上記の合同葬が開催された。

 2023年は、武藤敬司、蝶野正洋、そして橋本による「闘魂三銃士」の結成から35周年のメモリアル・イヤーである。本年4月から5月にかけ大阪と福岡に「闘魂三銃士CAFE」が期間限定でオープンし、未だ衰えぬ人気を示した。

 その際のコラボメニューが凄かった。三人三様のちゃんこ鍋が用意されたのだが、武藤の牛すじ、蝶野の鶏つみれに対して、橋本のそれに入っていたのはポークウィンナー。デザートに目を転じると、ムタ(武藤)は得意の毒霧を彷彿とさせるグリーン・パウダーのかかったパンケーキ。蝶野はイメージカラーの黒いチョコ・マフィン。橋本は2層構造の巨大パフェ。「“破壊”しながら食べていただくパフェ」と説明がなされていた。

 今回は個人的な取材秘話も含め、破壊王とその「食」について振り返りたい。

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