父親が自死した後、母親は新興宗教に走り…44歳男性の壮絶な生い立ちがその後の人生に与えた大きな影響とは

  • ブックマーク

とつぜん上京してきた母

 仕事が最優先ではあったが、ときどき恋愛もした。それでも春那さんへの思いは消えなかった。春那さんの人生を邪魔したくないから、彼は連絡しなかった。逆に言えば、それほど春那さんを好きだったということだろう。

「僕が28歳くらいのときかな、春那から『しばらく海外で仕事をすることになった』と連絡が来ました。彼女はそれを目指していたので、よかったねと心から祝福したんです。会いたかったけど、急に決まった転勤なので会う時間がとれないと言われて。でも帰国したら会おうねと約束しました」

 春那さんは33歳で夢を叶えた。自分も具体的な目標を持たなければと彼は少し焦りを覚えていた。もう一度、大学に通っていたころの情熱を取り戻そうと自分を鼓舞しているころ、いきなり実家から母が上京してきた。

「ある日突然、会社に現れて『もうなにもかも失った』って。財産を持ち逃げされたあと、仕事をしながら細々と暮らしていたらしいんですが、疲れた、家も売ったと。家は二束三文でしか売れなかったけどと笑っていました。あのころまだ母は50代前半だったのに、まるでお婆ちゃんのように見えました。帰れと言いたかったけど帰る場所もないわけです。母の従姉妹とも話して、しかたがないので僕がアパートを借りて母をそこに住まわせました。同居する気にはなれなかった」

長年の不信感と苛立ちをぶつけてしまった

 母の寂しさに、20代の彼は気づくことができなかった。母は近くのコンビニで働くようになったが、毎晩のように彼に「一緒にご飯食べない?」と連絡してくる。いいかげんにしてくれと彼は母を突き放した。

「アパート代の半分は払うから、あとは自立してくれと。それでもごちゃごちゃ言うので、『おとうさんを自殺に追いやって、そのあとは勝手に若い男とくっついて、何がしたかったんだよ』と怒鳴りつけてしまいました。父の自殺の原因が母かどうかはわからないけど、いつの間にか僕はやはり母に原因があるんじゃないかと思うようになっていた。父の死後の母の行動がどうしても理解できなかったから」

 長年の不信感と苛立ちをぶつけてしまったのだ。数日後、母は従姉妹にSOSを出したようだ。従姉妹が迎えに来て、母は従姉妹の家に行ったものの自殺未遂。その後、自ら望んで精神科に入院した。

「かかる費用は僕が出しました。母の従姉妹にも申し訳ないので月々数万円払った。誰のために働いているのか、家族に人生を邪魔されているのが嫌でたまらなかった」

 めんどうをみるか費用を払うかの二者択一なら払うしかない。父からの遺産は底をついた。かつての母は大好きだったが、父の死後は母を母と思ったことはないと彼は厳しい口調で言った。その後、回復して退院した母は生活保護を申請したという。

「そのころ久々に妹から連絡があったんです。彼女は北の大地から流れ流れて、ついに九州まで行った。九州で働きながらなんとかやってるからと言われてホッとしました。元気で自立して生きているなら、それでいい。そのときはそう思いました」

後編【妻のママ友の通報で12年越しの不倫がバレた…それでも「どちらか選べなんて言われるのはなんだか寂しい と言う44歳夫の特殊事情】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。