父親が自死した後、母親は新興宗教に走り…44歳男性の壮絶な生い立ちがその後の人生に与えた大きな影響とは
さらに母が…
「現場に走り書きのようなメモがあったんです。『ありがとう』って。たった一言。父に何があってどうして死ななければならなかったのか、まったくわからなかった。母も心当たりはない、と。仲のいい両親だったから、母があとを追うのではないかと僕は不安でたまらなかった」
雅充さんと妹は、学校に通うようになったが、母はもぬけの殻と化していた。家事もせずに寝てばかり。母の従姉妹が心配してしばらく家にいてくれたこともある。ところが数ヶ月後、母は自分の枕元に妙なお札や経典のような本を置くようになった。
「近所に本部のある新興宗教に取り込まれたみたいです。有名なところではありません。地元の人だけが知っているような。ただ、母はすでにお金をかなり貢いでいた。僕はあわてて母の従姉妹に連絡しました。彼女が弁護士を立ててくれて、お金はいくらか戻りましたが、母はそれでもその宗教を信じていた。弁護士に言われて財産分与をしました。母は、父の一周忌を待たずに『私、再婚したから』と、突然、若い男性を連れて帰ってきたんです」
ショックのあまり母も正常な判断ができなくなっていたのだろう。まだ中学生だった妹は悪い仲間とつるむようになり、家の中はめちゃめちゃになっていった。彼は何度も母に「目を覚ませ」と言ったが、母は「あなたも彼をおとうさんと呼びなさい」と強要するしまつ。その若い男性とは宗教でつながっていたようだ。
学校の先生にも相談したし、行政にも相談に行った。だが母の“恋愛”を止める力は誰にもない。しかもすでに婚姻届は出されていた。
「母の再婚相手は悪い人ではなかったけど、僕らに話しかけはしなかった。彼自身、いつも居心地が悪そうでした。父からの財産分与はたいした額ではなかったけど、僕らは弁護士さんに管理してもらっていました。母の従姉妹がそうしてくれたんです。僕は高校を出たら東京へ行こうと思っていた。妹を連れていくつもりでしたが、彼女は家に寄りつかなくなってしまった。母の従姉妹が無理矢理、自分の家につれて行ってくれました」
高校からの紹介で、雅充さんは東京の会社に就職した。職場の状況によっては二部の大学に通うこともできるという話だった。父の遺言ともいえる「大学進学」を果たさなければと思っていたそうだ。
「自分の人生を生きたかった」5歳年上の女性との出会い
仕事を始めて3年もたつと、彼はすっかり東京になじんでいた。母の従姉妹の話によれば、母は再婚相手に財産を持ち逃げされたという。「そんなことだと思ったから、驚きもしなかったけどがっかりはしましたね」と彼は突き放すように言った。
冷たいとは思ったが、自分の人生を生きたかった。一生懸命働けばいいことはきっとある。そう信じてがんばってきた。21歳の春、彼は会社の了承も得て大学の二部に通うようになった。
「そこで5歳年上の春那と出会いました。彼女も会社員なんだけど、自分の人生を考えて大学で学ぼうと思った、と。ふたりでよく勉強しました。彼女は優秀だった。睡眠時間を削って勉強していると。大卒の資格を得たら職場で部署を異動することができるからがんばるといつも言っていました」
毎日のように顔を合わせているうちに好意が芽生え、それが恋愛感情に変わっていった。ストレートに「つきあってほしい」と言った彼に、彼女は「私もあなたが好きだけど、つきあっている時間はない」と言われてしまう。週末、春那さんは図書館にこもって勉強をしていると言ったので、彼はその図書館に通った。勉強の合間の休憩時間やランチに、彼女と話せればそれでよかった。
「ただ、あるとき彼女がふっと『疲れた』と言い出して。今日だけサボろうとそそのかして、ふたりで映画を観に行ったんです。その後、ファミレスで食事をして、彼女を送っていったら部屋に招かれた。そこで初めて性を体験しました。彼女は『1回きりだからね』と釘を刺してきた。恋や性に溺れて自分を見失いたくないと言ってました。ただ、厳密にはその後、もう一度だけ関係がありました。『私はあなたより年上だからね、時間がないのよ』と彼女はいつも言っていた。僕は彼女に嫌われたくなかったから、彼女への思いを学問への情熱に転換しました。おかげでふたりとも4年で卒業できました」
また会おうと約束したものの、彼が誘っても彼女は乗ってこなかった。異動した部署での仕事を覚えるのに全力を傾けていたらしい。彼もまた、優秀な成績で大学を出たことが職場で評価され、営業職へと異動になった。
「大学では商学部だったので仕事の基本的なところが学問でつかめたような気がしていました。同時に僕が必死でやったのが英語と中国語。これが仕事に役立ちました」
[2/3ページ]