バウアーはまだ甘い…味方の拙守やセコいバントにぶち切れた「投手列伝」

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グラブを地面に叩きつけた下柳

 味方の相次ぐ拙守にぶち切れ、そのたびにマウンドで暴れたのが、阪神時代の下柳剛である。

 クライマックス・シリーズ進出がかかった2007年10月1日の横浜戦、二桁勝利まであと1勝の下柳は、気迫の投球で4回までゼロに抑える。だが、5対0の5回、先頭の内川聖一に四球を許してから、リズムが微妙に狂いはじめる。

 1死後、呉本成徳は二ゴロ。関本健太郎が二封を狙ったが、ショート・田中秀太が二塁ベースに入っていなかったため、セーフとなり、一、二塁とピンチを広げてしまう。この日は鳥谷敬が死球の影響で先発から外れ、2軍から昇格したばかりの田中が代役を務めていた。

 その田中が野選に絡んだとあって、「シーツもショートを守れるのに」と試合前から不満を抱いていた下柳は怒声を発しながら、マウンドの周辺をウロウロした。

 そして、何とか気持ちを落ち着かせると、仁志敏久を併殺コースの遊ゴロに打ち取ったかに見えた。ところが、この打球を田中がファンブルしてしまう。次の瞬間、下柳は「何で捕れんのや!」とばかりに憤怒の表情でマウンドにしゃがみ込むと、グラブを地面に叩きつけた。

「暴れ過ぎたから代えたんや」

 これだけ派手に怒られると、当然野手も委縮する。1死満塁で相川亮二に注文どおりの遊ゴロを打たせたにもかかわらず、田中と関本が慎重になり過ぎた結果、併殺崩れで1点を失う。すると、下柳は再び激高し、マウンド前方でグラブを叩きつけた。

 だが、次打者・金城龍彦を右飛に打ち取ると、これまでの鬼の形相が嘘のように一転笑顔でベンチに戻ってきた。

 一部始終を見ていた岡田彰布監督は「暴れ過ぎたから代えたんや」と6回からリリーフを投入。これが裏目に出て横浜の猛反撃を食うが、9対7で何とか逃げ切り、CS進出、3年連続二桁勝利とともに、球団の39歳以上の投手では、1949年の若林忠志以来の二桁勝利を実現した。

 試合後、下柳は「あんなことやっちゃ、いかんわ。みんな一生懸命やってるのに申し訳ない。(最初に)自分から四球出してる」と反省しまくりだった。

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