日本全国の「珍スポット」紹介のために“会社を辞めた”男 「ワンダーJAPON」編集長が珍スポに人生を賭けるマジメな理由
日本のあちこちにある珍スポットや廃墟、工場や巨大構造物――。一部マニア以外は見向きもしなかったこうした場所が、平成時代の途中あたりから“観光地”と認識され、旅行会社がツアーを組むなど多くの人が訪れるようになった。そんな日本各地の珍スポや廃墟を記録し紹介することに人生を賭け、勤めていた会社を辞めた人物がいる。雑誌「ワンダーJAPON」編集長の関口勇氏だ。関口氏はなぜ会社を辞めてまで珍スポなどを記録・紹介する人生を選んだのか?【華川富士也/ライター】
【写真を見る】日常に紛れ込んだ非日常の光景…「ワンダーJAPON」編集長が紹介する日本全国の“珍スポット”
「ワンダーJAPON」は2020年6月に創刊され、7月19日に第7号が発売される旅行ガイド誌。ただし、いわゆる普通の観光地はほぼ掲載されておらず、ページをめくった先に現れるのは、マニアック過ぎる私設博物館や、道路脇の珍人形、巨大仏、独特過ぎる公園遊具、珍建築、仏像や石像が大量に並ぶ謎の場所、ダムや橋などの巨大構造物、戦争遺跡、未成線跡、廃線跡、炭鉱跡、赤線・遊郭跡、廃墟……。全国各地に存在しながら、多くの旅行ガイド誌がスルーするような物件の紹介で一冊が埋め尽くされているのだ。
編集長の関口氏は、自ら現地に出向いて取材、写真撮影を行い、原稿も執筆。それどころかレイアウト、印刷会社への入稿、色校正といった工程まで全てひとりで行っている。北海道を特集した最新号では、自宅から北海道まで車を走らせて現地を取材した。走破した距離は北海道内だけで2600キロ。自宅から青森のフェリー乗り場までの往復を合わせると4000キロにも及ぶ。現在60歳の関口氏がここまでできるのは、珍スポなどの「記録」と「紹介」を“使命”“ライフワーク”と定め、世の中にその価値を伝えることで“延命”する物件を少しでも増やそうとしているからだ。
「世の中にないものにする」
「振り返ると、紹介したものがけっこう無くなっているんですよ」と悲しそうにつぶやいた関口氏。実は以前いた出版社で1字違いの雑誌「ワンダーJAPAN」を2005年に立ち上げ、編集長を務めていたその人でもある。「ワンダーJAPAN」は20号を出した2012年から休刊していた。
「上野にあったホテル、ソフィテル東京なんて、1994年に竣工して2007年に解体が始まりました。ギザギザの高層建築で、木のようにも、周りが寺だから卒塔婆のようにも見えた。形が面白いから『ワンダーJAPAN』の創刊号で紹介したんです。設計したのは有名な建築家、菊竹清訓さん。にもかかわらず13年でこの世から消えました……。同じ2007年には、『ワンダーJAPAN』3号で紹介した長崎の仏教系テーマパーク『西海楽園』が閉業し、金色に輝いていた巨大観音像が即座に解体されました。ここは珍スポとして人気を集めていました。1990年オープンだから、わずか17年の命です」
そもそも関口氏が以前いた出版社・三才ブックスで「ワンダーJAPAN」を創刊したのは、
「書籍編集部をゼロから立ち上げることになったんですが、雑誌が2誌しかなかったので、本にできる材料が足りなかった」という事情からだった。そこで自ら新しい雑誌を作り、本のタネになるものを供給することにした。その際に自分に課したのは「世の中にないものにする」ということ。その上で「自分が好きなものや面白いと思うものを詰め込みました」という。
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