標高3メートル「日本一低い山」に登山客が殺到 東日本大震災から12年後の「山開き」が笑顔に包まれた理由
4段登れば8合目
この蒲生地区で生まれ育った「中野ふるさとYAMA学校」代表の佐藤政信さん(77)は、
「大震災は、私たちから多くのものを奪っていきましたが、日和山は津波に削られながらもがんばって耐えてくれました。悲しみは大きかったけれど、私たちにとって忘れられない親しみのある一番の場所でもあります。その日和山が、日本一となって戻ってきた。これは、後世に伝え大切にしなければいけないと思っています」
これまでの山開きは40~50人の参加者があったが、10周年の今年は例年の4倍もの人が登頂した。久しぶりに再会した元住民たちは、近況を伝え合い、来年また会うことを誓っていた。
近くの高砂神社で登山の安全祈願をした後、日本一低い山の山頂を目指した。実際に見れば、誰もが微笑んでしまうような小さな山には階段状の登山道が整備され、3段登れば中腹に到着し、4段登ればもう8合目。だから年配者でも子供でも簡単に登頂することが可能だ。
日本一の山に
仙台市内から来た90歳の小林祐子さんは、車いすを降り、自分の足で登山道を登った。
「富士山はもう無理だけど、日本一の日和山に登れて幸せです。うれしいねえ。サンキュー、ダンケ(笑)。またお目にかかる日があるかもしれないから、あなたもお元気でね」
と相好を崩し、山頂で万歳をした。
県外からも参加者があった。三重県四日市市から来た中山宏平さん(88)と宏美さん(60)
親子は、前日、空路仙台入りした。
「昔、家族で富士山に登ったことがあるけど、もう一度日本一の山に登りたいと思って来ました。こんな素敵な山があるとは知りませんでした。こうして皆で登山すると、生きていることを実感しますね」(宏平さん)
「勤め先の会長に日和山のことを聞き、その瞬間に行きたいと思い、父と来ました。笑顔がたくさんあって、エネルギー補給ができました。去年骨折した私でも簡単に登れました」(宏美さん)
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