「山口5人殺害事件」で特別抗告 『つけびの村』著者が語る「保見死刑囚はかわいそう」への違和感

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事件を有名にした“川柳”

 保見死刑囚の家の前をGoogleストリートビューで確認すると、この事件を一躍有名にした“川柳”が窓ガラスに貼られているのが確認できる(2023年7月現在)。

<つけびして 煙り喜ぶ 田舎者>

 この貼り紙は、初めて集落を訪れた2017年にはすでに剥がされていた。ストリートビューの撮影は2013年5月。事件発生の2ヵ月前だった。いまも更新されることなく、インターネット上には事件前の集落の姿が残っている。

 ストリートビューではガレージに2台の車が停まっている様子も確認できる。彼はこのうちの1台、薄紫色のオフロード車に乗り、生まれ育った集落にUターンしてきた。中学卒業後に上京し、長らく関東でタイル職人として働いていたものの、周囲に「親が身体の調子が悪いから、家に帰んなきゃなんねえんだ」と言い、戻ってきたのだった。その年に「シルバーハウスHOMI」という屋号で便利屋のようなことを始めようとしたが、いつのまにかやめている。

 集落の神社脇には保見家の墓がある。山肌に沿ってのびる参道脇に位置するため、ストリートビューで見ることはできない。実際に参道を登ってみると、保見家の墓の周りにだけ、鉄パイプで“バリケード”が設けられている。これは保見死刑囚の手によるものだ。

 事件直前の保見死刑囚は孤立していた。妄想性障害を発症していたためだ。判決では、こう認定されている。

<親が他界した平成16年(2004年)頃から,近隣住民が自分の噂や自分への挑発行為,嫌がらせをしているという思い込みを持つようになった>(一審・山口地裁判決)

“墓石”が横倒しになっていた

 この場所には他の家の墓も多くある。“バリケード”を設けたのは、周囲と関係を絶とうする意図だったのか、それとも、この墓に眠る先祖を、彼の思う<嫌がらせ>から守ろうとしたのか。いずれにせよ、山中の墓地のなかで、赤黒く錆びた鉄パイプで囲まれたこの一角だけが異様さを醸している。

 そんな墓にも変化が見られた。昨年秋に訪れたとき、墓石(正確には竿石の部分)が横倒しになっていたのだ。

 初めて目にした時は筆者もギョッとした。墓地では、墓石が整然と立ち並んでいるのが当然だと思っていたので、それが“横倒し”になっている光景は、あまりにも奇妙に映った。保見死刑囚に恨みを持つ何者かが、故意に墓石を倒したのか――。

 だが、結論から言えば、これも“いじめ”とは無関係だった。地元の住民らによると「墓じまい」なのだという。周囲を見回すと、たしかに他にも同じように墓石が倒れている墓が散見された。保見死刑囚が物理的に墓を守れない状態にあり、嫁いだきょうだいも年老いた。横になった墓石を見た時はさすがに驚いたが、保見家にとって墓じまいは現実的な選択に思える。

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