天皇陛下「英国留学」の原点 水面下で米英がせめぎ合った「家庭教師プロジェクト」

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「この体験は、将来、息子にとって真の財産となることでしょう」

 だが、英国の思惑はどうあれ、留学が、浩宮の生涯の財産になったのは、間違いない。「テムズとともに」は、オックスフォードでの日々を愛おしむように綴っている。それは、まさに内側から英国を、外から日本を見つめ直す体験だった。そして、1985年10月、ロンドンの空港を飛び立つ場面で終わっていた。

「ロンドンの風景が遠ざかるのを見ながら、私の中で自分の人生にとって重要な一つの章が終わり、新たなページが開かれる思いがし、しばし心の中に大きな空白ができたような気がした。それとともに、内心熱いものがこみ上げて来る衝動も隠すことはできなかった。私は、ただ、じっと窓の外を見つめていた」

 その翌月、ホームステイ先だったホール大佐に、日本のある人物から、感謝の手紙が届けられる。

「英国での滞在と勉学が実り多く、息子が大きく成長できたことを、妻と私も大変嬉しく思います。この体験は、将来、息子にとって真の財産となることでしょう」

 ロンドンの英公文書館が保管する手紙は、直筆の署名で、「Akihito」とある。浩宮を留学に送り出した父であり平成の天皇、そして、現在の上皇からの手紙であった。

徳本栄一郎(とくもと・えいいちろう)
1963年、佐賀県生まれ。著書に『英国機密ファイルの昭和天皇』(新潮社)、『エンペラー・ファイル――天皇三代の情報戦争』、『田中清玄――二十世紀を駆け抜けた快男児』(以上、文藝春秋)などがある。

デイリー新潮編集部

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