天皇陛下「英国留学」の原点 水面下で米英がせめぎ合った「家庭教師プロジェクト」
英国に助けを求めたGHQ
米国に皇室改革などできるか、と言わんばかりだが、これには伏線があった。
占領開始直後、GHQは、宮中の大規模なリストラに踏み切る。5000人以上いた職員を削減したのだが、その後も、試行錯誤が続く。そもそも宮中の適正な規模、業務とは何か、彼らも知らなかったのだ。そこで助けを求めたのが、英国だ。
英外務省は、すぐにバッキンガム宮殿と協議し、職員数や内訳、業務を、GHQに伝えた。偉そうに日本の占領を仕切っているが、米国は、皇室改革のノウハウがない。報告を受けた外務省は、この機会を逃さなかった。そこから、家庭教師派遣プロジェクトが浮上する。
そして彼らは、バイニング夫人の情報を集め始めた。米国が支給する給与の額、手当をチェックし、参考にするためだ。その上で、大蔵省に予算措置を打診した。大蔵省も乗り気で、3年から5年、年間1000ポンドを出してもいいという。
これで、金の目途もついた。
ところが、この時のプロジェクトは、挫折してしまう。英国側の記録では、マッカーサーが乗り気ではなかったためらしい。英国外務省が唇を噛むのが目に浮かぶが、2年後、再びチャンスがやって来た。
1951年9月、サンフランシスコで、講和条約が調印され、翌年の春、発効した。これにより、日本占領は終わり、GHQも去っていく。そして、この頃、東京から、ある情報がもたらされた。
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