新田純一が20年来のパートナーに公開プロポーズ 「八代亜紀さんが縁結びの“髪”」というなれ初め
俳優の新田純一さんが60歳の誕生日を迎えた5月8日、ベルセルバカントリークラブ市原コース(千葉県市原市)で「新田純一 還暦祝 ゴルフコンペ」が盛大に行われた。お祝いに駆け付けたのは、新田さんの恩師にあたる里見浩太朗さんをはじめお歴々100人。ラウンドが終わった後の表彰式で、新田さんは一か八かの勝負に出た。
【若き日の新田純一】「Hop・Step・愛(LOVE))」でアイドル歌手としてデビュー ほか
20年来のパートナー、大内聡子(としこ)さん(58)を壇上に呼び、マイクを握ってこう言ったのだ。
「これまで事実婚の形で暮らしてきたけど、還暦を機に“けじめ婚”として籍を入れたいのですが、いかがでしょうか。結婚してください」
一瞬にして会場から騒めきが消え、皆が息をのむ中、マイクを持った聡子さんが少しの間を置いて、
「はい」
と、返答。会場は「よかった」「おめでとう」の声と拍手に包まれた。
〈聡子さんは照れくさそうにしていた〉とスポーツ紙が報じたが、当人の弁は少し違う。
「プロポーズを聞いて、“ずるい~”と思いました。大勢の前で断って、彼に恥をかかせられないじゃないですか。せめてもの抵抗で『あと20年待ってくださるなら』とジョークを飛ばしてから『はい』と言ったのに、『はい』の部分しかマイクが入らなかったんです(笑)」
事実婚のままでよかったということですか?
「ええ。私の方は」
と断言するのは、自立した女性だからだろう。聡子さんは、すご腕のヘアメイクアーティスト。八代亜紀さんのヘアメイク・着付けを担当し、29年目になる。
「僕は昔、女性には家にいてほしいと思っていた昭和の男でしたが、彼女と知り合って働く女性のかっこ良さに気付いたクチです」
そう振り返る新田さんは、1981年、18歳のときにフジテレビのオーディション番組で賞を取って芸能界入りした。翌年に歌手デビューし、軽快に歌う「Hop・Step・愛(LOVE)」で一躍人気者になる。85年には日本テレビの年末時代劇「忠臣蔵」に出演。その後、ドラマや舞台、映画に活躍の場を広げてきた。
聡子さんと知り合ったのは、八代さんと共演した場で。当時、共に小学生の子供がいたため、子育て話を交わすようになったのは、「仲間」としてだ。だが、やがて相前後して二人ともバツイチに。子供が元配偶者と暮らすことになった状況も同じなら、身ひとつでリスタートを余儀なくされたのも同じ。世田谷区に2DKのマンションを借りて、いわく「同志」のような二人暮らしが約20年前に始まった。
「家具も電気製品もゼロからで、最初に買ったのは電子レンジ。“サトウのごはん”をチンして納豆ごはんを段ボールのテーブルで食べたっけ」(新田さん)
「あのときの電子レンジ。いまだに壊れず、使っているよね(笑)」(聡子さん)
二人の関係も壊れなかった。事実婚としたのは、子供への気配りから。子供たちが成人後、その配慮は不要になったが、事実婚パートナーでいる方が自然だったのだ。ところがコロナ禍に新田さんの気持ちが急変。
「病気になって手術というとき、婚姻関係がないと判断もできないでしょう? 無責任だと思うようになったんです」(新田さん)
では、公開プロポーズにしたのはなぜ?
「皆さんに、けじめ婚の“証人”になってもらおうと思ったから」(同)
かくして、新田さんの作戦勝ち。聡子さんの誕生日、5月30日に、購入して6年の住まいがある杉並区の区役所に婚姻届を出した。