「原口一博」衆院議員が明かす「私が“がん闘病”を告白した理由」 ウィッグ姿への中傷で痛感した“患者の現実”、「当初は“逃げよう”と思っていた……」

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話があるから

――病院からの一報を受けて安堵されたものの、まもなく事態が急変したそうですが。

原口 1月26日のことでした。突然先生から電話がかかってきたのです。「話があるから佐賀に戻ってきてくれ」と。

 わざわざ直接話をするために呼び戻すわけですから、当然、いい知らせなわけがないじゃないですか。「やっぱり悪性リンパ腫だったんだ……」と、ピンときて、目の前が真っ暗になりました。

 そして、次にパッと思い浮かんだのは「逃げる」でした。といっても、現実逃避というわけではありません。どうせ残された時間が少ないのなら、病院で闘病しながら死ぬのではなく、最後まで政治家として、国会議員として、できる限りの活動をして、仕事を全うしようということです。とにかく病気から逃げて、逃げて、逃げまくろうと思いましたね。とはいえ、当然ながら、逃げられるわけはないですよね。すぐにその考えは心の奥に押しやられ、病院行きを決意しました。

――医師から電話があった翌日、佐賀へと戻り、病院に向かわれたのですね。

原口 悪い予感を胸に病院に行くと、先生からこう告げられました。「これは『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫』で、悪性リンパ腫の中でもとりわけ悪質な方で、進行がとても早いがんです」と。そして、とにもかくにも、まずは精密検査を受けることになりました。すでに扁桃腺が大きくなっている状態であれば、ステージ2以上であるのは確定とのこと。検査の焦点は、ステージが2なのか、もう取り返しがつかないところまでもっと進行しているのか、そこの見極めとなったのです。

しんどい時も

――結果はどうでしたか。

原口 幸いにして、ステージ2でした。この検査結果を知った時が一番ほっとしましたね。転移はしていなかった。きちんと治療をすれば、がんは抑えられるレベルだったわけですから。そこからはもう気持ちを切り替えて、治療を行おうと決意しました。

――どんな闘病生活を送ったのでしょうか。

原口 肥大した扁桃腺の切除や、抗がん剤を注入するための「ポート」を鎖骨の下に埋め込むため、3回ほど手術がありましたが、それ以外は抗がん剤の投与が基本。丸一日入院して投与するのを、期間を空けて計6回というものでした。その間、日々の政治活動は続けてもいいとのことで、これは大変ありがたかったですね。しかも、抗がん剤による副作用についても、緩和ケアの体制が整っている病院だったので、その点もラッキーでした。

 とはいえ、しんどい時もありました。まだ病気を公表する前の話ですが、入院して、4回目の抗がん剤治療を受けた翌日、山口4区の衆院補欠選挙に出馬した、有田芳生候補を応援するために、佐賀から下関まで向かったのです。その道中も、応援演説中も、ものすごいく吐き気に襲われ続けまして。後日、先生に「吐き気がひどかったんですけど、どうしてですか。これまでこんなことはなかったのに」と尋ねたら、「抗がん剤治療を受けた翌日に、佐賀から下関に行くような動きは普通じゃないです」と呆れられました。

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