「どうする家康」は名作か、それとも迷作か 2つの価値観が頻繁に入れ替わる最大の難点

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 NHK大河ドラマ「どうする家康」は視聴率が高まらないまま。一方で内容面は、史書に沿わないところが目立つことなどについて議論百出となっている。この62作目の大河は後世まで名作として語り継がれるのか、それとも迷作なのか。

史書に沿うかどうかより大切な問題

「どうする家康」における議論は、焦点が合っていない気がする。史書に沿う、沿わないはあまり関係ない。

 名匠・山田太一氏(88)が書いた18作目の大河「獅子の時代」(1980年)では、主人公・平沼銑次(故・菅原文太氏)が架空の人物で、モデルすら存在しなかった。幕末から維新を駆け抜けた会津藩士ということになっていたものの、実在しなかったのだから史書にないエピソードばかり。それでも違和感を訴える声は聞こえず、名作として今も語り継がれている。

 故・堺屋太一氏のベストセラー小説を冨川元文氏が脚色した20作目の「峠の群像」は、故・緒形拳氏が大石内蔵助に扮した忠臣蔵だったが、史書や俗説を大胆に変えた。なにしろ内蔵助を窓際サラリーマンに例えたのだから。それでも評判は高かった。

 その後も同じ。故・吉川英治氏による原作を鎌田敏夫氏(85)が脚色した42作「武蔵 MUSASHI」(2003年)や、故・火坂雅志氏の原作を小松江里子氏が脚色した48作「天地人」(2009年)は史書とかなり違ったが、好評を博した。

 どう歴史をいじろうが、きちんと辻褄を合わせ、観る側を惹き付ければいいのである。ただし、ウソを上手につかないと、視聴者は付いてこない。

 大河ではないが、同じNHKが今年1月から3月まで放送した「大奥」が好例である。江戸時代の男女逆転社会が描かれたもので、全編にわたって大ウソだったが、疑問や不満の声は上がらなかった。むしろ大好評。よしながふみ氏の原作漫画、森下佳子氏(51)による脚本が視聴者を上手く騙したからである。

 一方、「どうする家康」のウソは上手いのだろうか。「史書に沿うべきだ」という声が目立つのは、ウソに納得していない人が多いことの裏返しではないか。事実、違和感をおぼえたシーンが多い。

 第24話で徳川家康(松本潤・39)の正室・瀬名(有村架純・30)は「日本国を1つの慈愛の国にするのです」とぶち上げた。ここまでのウソは理解が出来た。

 だが、同調した武田勝頼(眞栄田郷敦・23)の有力家臣・穴山信君(田辺誠一・54)と同じく密偵の望月千代(古川琴音・26)が裏切り、計画がぶち壊しになったというウソは腑に落ちなかった。それによって瀨名は死に追いやられた。

 いくら主君・勝頼の命とはいえ、2人は瀨名の理想に深く共鳴し、実現に向けての誓いを交わしていたのである。人間としていい加減すぎないか。それまでの流れなら、穴山は諫死してもおかしくない。

現代と戦国時代の価値観が入れ替わるから難解

 この大河を理解するのが難しい理由の1つは、「主君第一」のような“戦国時代の価値観”と「平和第一」のような“現代の価値観”が頻繁に入れ替わってしまうところにある。統一された価値観が存在しない。

 後味が酷く悪かったのは第23話。家康の長男・信康(細田佳央太・21)が、鷹狩りの帰りに僧侶を殺したエピソードである。理由について信康は「ワシに呪術をかけた」と説明した。実際にあったとされる話である。なぜか、家康と瀨名はさほど咎めなかった。戦国時代の価値観だった。

 それでいて信康は、現代の価値観である瀨名の“慈愛の国計画”に賛同する。戦いのない世について家康に切々と説明した。第24話だった。罪のない民を殺していながら、平和を訴える信康の姿が奇異に映った。武士さえ平和ならいいのか。

 性差別の問題は“現代の価値観に近づけている。瀨名の発言権は強く、家康の子供を宿した侍女・お万(松井玲奈・31)には「政(まつりごと)もおなごがやれば良いのです」と言わせた。男女共同参画社会の必要性を訴えさせた。

 また、この時代の女性同士の恋愛は史書ではまず見当たらないが、第10話から登場している家康の最初の側室・お葉(北香那・25)は同性愛者であるかのように描かれている。これも価値観を現代的にしようと考えたからに違いない。実在のお葉は家康の次女にあたる督姫を出産した。

 前回26話で家康は、織田信長(岡田准一・42)を討つ決意を固めたことを家臣たちに伝えた。“慈愛の国計画”で瀨名と武田方が連携したことを信長に知られ、瀨名の殺害を余儀なくされた恨みも一因だ。

 しかし、ここでも違和感が生じる。現代的な価値観に基づく“慈愛の国計画”は家康も承認していた。その時点で連帯責任があるはず。どうして家康は、そのまま現代的な価値観に従い、瀨名と命運を共にしなかったのか。現代的な価値観と戦国時代の価値観をまぜこぜにするから、このような疑問がいくつも生じる。

 また、信長を討つなら、瀨名が死ぬ前にそうすべきだったのではないか。「それでは創作が過ぎる」という声も上がるだろうが、この大河はそもそも大胆なまでに創作を採り入れている。

「信長を討つ準備できていなかった」との声も出るだろう。しかし、“慈愛の国計画”は無血クーデターであり、計画が動き出した時点で信長に対抗する手はずを考えていないほうが不自然なのである。

 家康にまつわる戦国時代の出来事を記した『松平記』などには、築山殿(瀨名)が武田方の僧侶と密通し、織田方の情報を流した疑いを持たれたとある。これが問題視され、信長は家康に対し築山殿の殺害を迫った。

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