所持金わずか700ドルで娘をアメリカに行かせたシャラポワ父 ビザ取得にかけた執念とは(小林信也)

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大使館でとうとうと演説

 娘の才能に気付いた父は、高度な指導を求めて情報を集め、機会を探った。6歳の頃、モスクワで開かれるテニス・クリニックに父は娘を連れて参加した。モスクワまでの飛行機代を、父は奇跡ともいえるほどの努力で捻出した。

 無数に並ぶコートに数百人もの子どもがひしめいていた。才能ある金の卵を見つけ出そうと目を光らせるコーチや選手の中に、マルチナ・ナブラチロワがいた。すでに一世を風靡し、シングルスからの引退を決意する直前の時期だった。シャラポワは彼女の目に留まった。

〈わたしの打つ番が終わると、ナブラチロワは話をしようと父を脇へ呼んだ。(中略)お嬢さんには才能がある。彼女をこの国から出して、技術を磨けるところへやらなければいけない。そう、アメリカへやりなさい、と〉

 父はすぐアメリカ行きの算段を立て始めた。当時の国情では、政府関係者以外、アメリカ行きのビザ取得は通常許されなかった。しかも父には蓄えもない。出発時の全財産は700ドル。それでも父は諦めなかった。国際ジュニア大会出場に向けフロリダで合宿しているロシアジュニアチームからの招聘(しょうへい)状を取りつけた。圧巻はモスクワの大使館に一張羅のスーツで向かい、ビザを申請する場面だ。父は「娘は神童だ」「あのナブラチロワが認めてくれた」など窓口で役人に対してとうとうと演説を続けた。

〈「わたしにも娘がひとりいます」ようやく役人は口を開いた。「娘もテニスをしていますよ。上手です。8歳ですがね。しかし、あの子を神童だとは思わない。お嬢さんは6歳ですね。お嬢さんがわたしの娘よりもテニスがうまいと、どうしてわかると言うんですか?」

(中略)「6歳の女の子に訓練を受けさせるため、アメリカに行かせたいと思うんですね?」

「はい」

「一片の疑念も持たずに、ですか?」

「そうです」

 彼は父の目をじっと見つめた〉

 役人は、有効期限3年のビザを発行してくれた。アメリカとロシアを自由に行き来できる黄金のパス。その瞬間にシャラポワのテニス人生の新たな扉が開いた。

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