選手に演技の練習をさせていた? トリッキーな走塁で攻める「新庄野球」の意外な原点

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勝負は3年目

 また、野村監督には「1年目は畑を耕し、2年目は種を撒いて育てる。3年後に花を咲かせ…」の名言がある。その言葉通り、1年目は5位、2年目は3位と順位を上げ、3年目でリーグ優勝を果たしたが、新庄監督も昨季は最下位、2年目の今季は目下、Bクラスにいるものの、3年目に大輪を咲かせるのではないだろうか。

「ID野球をまとめた“野村ノート”の存在は広く知られていますが、実はその『原本』は阪神、楽天にはあって、ヤクルトにはないんです。1990年にヤクルト指揮官に就任したキャンプ初日の夜から野村教室が始まりましたが、当時は野村監督がボードに書いた内容を選手が必死に手書きで写したのです。でも、阪神では『手書きでは書ききれない』なる苦情が殺到し、球団がプリント資料を作成して配布しました。楽天ではスライドも活用されたのでその資料作りのため、データが残っています。ヤクルト時代の9年間は全て選手がノートに書いていたので、選手各 自の個人財産となっている。それも9年間、一軍キャンプに皆勤賞で在籍したごく僅かな選手しか完全版を持っていません」(前出・プロ野球OB)

 阪神選手時代の新庄監督が野村教室で学んだのは99、00年の2年間だけだが、プリント資料で“IDの奥義”をチャッカリ読み込んでいるわけだ。

 3年目の今年は、意味シンな言動も見られた。去る6月27日の埼玉西武戦の試合前だった。担当記者団と若手の成長の話になり、新庄監督が「それ(若手の成長)を見届ける」という確認がされた。

「優勝しか狙わないと言ってシーズンに突入しました。健闘はしていますが、結果によっては万が一、今シーズン限りではないかと思って、監督任期が確認されたんです」(スポーツ紙記者)

 すると、新庄監督は「もちろん、もちろん。完全燃焼させたいっていう…。全てにおいてね」と返した。さらに「キミは(記者歴が)何年目?」と“逆質問”した。新庄監督に見つめられた順に各記者が答える。約10人全員に聞き終わると、

「う~ん。オレはマックス3年かな」

 と、首をかしげた。仕事に対する責任感、「3年でひと区切り」と考えているとも解釈できるが、

「最終的にはさあ、ボクは野球がいちばん好きだから。その前に、求められないかもしれないけど。自分で『お願いします』って言っても、分かりましたっていう場所じゃない」

 と、監督を続ける難しさ、結果が全てのプロ野球界の厳しさも口にしていた。

「昨年なんかボール球はガンガン振るし、打率はみんな2割2分。もうどうしようかなって。でも、よく成長してくれたと思いません?」

 今季の優勝をまだ諦めたわけではないが、選手の成長には確実な手応えを感じているようだ。野村監督のID野球を踏襲するのか。

デイリー新潮編集部

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