100メートルに1隻の割合で沈没船が! エーゲ海の暗闇の中で水中考古学者が目撃した絶景
水中に沈んださまざまな遺跡を研究し、人類の歴史をひもとく――それが水中考古学だ。その現場の発見と驚きを描いた『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』の著者・山舩晃太郎氏は、世界各地の海で発掘調査に参加している。今回の舞台は、ギリシャの離島フルニ島。水深60mの暗闇の中で、山舩氏が目にした絶景を写真付きで紹介する。
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ヤギが放し飼いされた美しい島が発掘現場
フルニ島はエーゲ海東部に浮かぶ、面積が45平方キロメートル程、人口が1500人程の島である。沖縄県の久米島や、東京都の三宅島よりも少し小さく、地図で見ると、ギリシャ本土よりもトルコ本土の方がよっぽど近い。島には20人以上いる調査メンバーを収容できる宿がなく、私達は島でただ1つの港町に点在するいくつかの貸アパートに分かれて寝泊まりすることになった。
島到着の翌日は保存処理を行うテント(簡易基地)の設置や、空気タンクや空気を充填するコンプレッサーの設置、3隻の小型ボートの準備などに明け暮れた。大人数で長期間のプロジェクトをするとなると設置準備も大変である。
夕食前、ようやく少しできた自由時間に、1人でアパートの目の前のビーチを歩いてみた。
なんて美しいのだろう!
建物はエーゲ海の風景イメージそのもので真っ白だ。ビーチの横や通りには、背の低いオリーブの木が茂っている。有名な観光地のサントリーニ島の写真を思い浮かべてもらえば、私がフルニ島で見た景色を想像してもらえるのではないだろうか。
地元の人もとてものんびりと生活していて、町を少し外れた所では道路をヤギが行進している。島内で放し飼いをしているようだ。なんと牧歌的なのだろう。
しかし、忘れてはならない、この美しい海の下には何十もの船が沈んでいるのだ。
100m泳いだら1隻の割合で沈没船が眠る海
フルニ島での調査の初日、沈没船の現場を見るため、私達の班とピーターは海に潜ることにした。
海の色は、紫と蒼が混ざったようなサファイアブルー。私達の後ろには100m以上の大きな石灰岩の真っ白な崖がそびえ立つ。
船が沈んでいる海岸線は、島の波止場から小型ボートで10分もかからなかった。
準備が整うと他のメンバーを残し、ピーターと私が海に飛び込んだ。水深20mを維持しながら、海岸線に沿って北に300m程泳いでみる。水の中の景色も格別だ! 水中の透明度は40mはあるだろう。水の中にいるというよりは青い世界を飛んでいるような感覚だ。白い崖は、水中では少しなだらかになっていて、水によって濃い蒼に塗りつぶされていた。
「沈没船はどこだろう?」
私はこれまでの調査経験から、沈没船は目を凝らして探さないとなかなか見つからないことを知っていた。海底に残されているアンフォラ(ワインなどを運ぶために使用した陶器の壺)などの遺物の一部も、水中では岩と区別がつきにくいからだ。しかしフルニ島の遺跡ではそんな心配はいらなかった。
積み重なった何百ものアンフォラが見える。水深の浅い場所にある沈没船のため、アンフォラは波の影響で割れてしまい、完璧な形で残っているものは無かったものの、取っ手など、破片は綺麗な形を保っている。
「おーーーーーーー! 凄いなー!!!」
ピーターと私は一通りアンフォラの山を見て回り、さらに北に向かって泳ぎ、2隻の沈没船を確認することができた。こちらも先に見た沈没船と同様、アンフォラの塊が転がっている。100m泳いだら1隻の割合で沈没船がある! 何という場所なんだ! 早く作業を始めたい。
現場トップからの洗礼
だが、発掘の現場は一筋縄ではいかない。水中調査2日目の朝、プロジェクトのトップ、コウツォウフラキス博士に呼び出された。
「コウタ、私はフォトグラメトリ(※フォトグラメトリとは、画像データを光学スキャンデータとして応用し、デジタル3Dモデルを構築する技術のこと)には全く期待していない。散々チーム内でフォトグラメトリを使用してきたが、誤差が酷い。考古学には全く役に立たないだろう。今回はピーターの頼みで君を招いたが、そこまで頑張らなくていいから、初めてのギリシャを楽しんでくれ」
博士の言葉に「おっ! そう来たか」とは思ったものの、あまり驚かなかった。
現在でこそ全く無くなったが、2018年頃までは学会やメールでこの手の反応をもらうことは、本当に多かった。
実は私も「フォトグラメトリは役に立たない」という意見がなぜ出てきてしまうのか、理解していた。使い手の知識と技量が足りず、カメラ設定やデータの取り方を間違えていたり、データ処理の仕方がまずく、使い物にならない粗末なフォトグラメトリ3Dモデルを、何度も見てきたからだ。
文句を言ってくる考古学者達が、そうした精度の低いフォトグラメトリしか見てこなかったのであれば、彼らの意見も全く正しい。ただ、今回のフルニ島でのプロジェクトは、私も報酬をもらってやってきたのだ。フォトグラメトリを使用したデジタル3Dモデル作成と、そのモデルから実測図(遺跡の地図)を作成するという仕事を放って、ただ日光浴を楽しんでいるわけにはいかない。
とりあえずコウツォウフラキス博士には、「お考えはもっともですが、博士が今後、沈没船遺跡の分析を行う際に少しでも参考になるような情報を作るために頑張ってみます」とだけ伝えた。遠くで笑って見ているピーターの姿が見える。
数日後、私は朝食の時間にコウツォウフラキス博士にこっそり声をかけ、沈没船遺跡の3Dモデルを見せた。
「一応こんなのができました」
彼の眼の色が変わった。
「どうやったんだ? データの精度は?」
私は3Dモデルの寸法の精度とその根拠を説明して、続けてそこから作成した実測図を見せた。
「どうやって……」
博士は言葉を失って、ジッと実測図に見入った。
一口に考古学と言っても、各国ごとに傾向がある。国によって研究の主な目的や、遺跡からどのような情報を求めているのかが違ってくるからだ。
それが顕著に表れるのが、その国の考古学者が作成する実測図である。私はメンバーの中で仲良くなったギリシャ人の建築家に、これまでギリシャチームが手作業で作成してきた実測図を見せてもらった。
その実測図は、沈没船がどのように沈んだか、どのように遺跡が海の中で変化してきたかなどの情報を重視するものになっていて、アンフォラの向きと種類も正確に記されていた。
それを見て、ギリシャの水中考古学においては遺跡周辺の地形とアンフォラの形状、その出土位置がもっとも重要視されていると推測した。
そのため私は、地形とアンフォラの形状が詳しく分かるような実測図を作成した。ギリシャの水中考古学チームは通常これをチーム総動員で数週間かけて行う。それがプロジェクト開始から数日で目の前に現れたのだ、しかも誤差はミリメートル単位の精度となっている。
コウツォウフラキス博士はすぐに他のメンバーも呼んで、その沈没船遺跡の考察を始めた。嬉しそうに興奮しながらギリシャ語で話している。内容は分からないが白熱した議論をしているであろうコウツォウフラキス博士に、私はこう聞いてみた。
「この情報は使えますか?」
「もちろん!」
博士は力強く答えた。ピーターは隣でニヤニヤしている。
命がけの発掘調査
プロジェクトが始まって2週間目、コウツォウフラキス博士からある記録作業の指示が出た。
「フルニ島に数多くある沈没船遺跡でも、特に水深が深いものは波の影響も受けておらず、保存状態がいい。盗掘を全く受けていない可能性も大きい。そのため水深45m、50m、60m地点にある3隻の沈没船から幾つかのアンフォラの引き上げを考えている。コウタにはその前にこの沈没船の3Dモデルと実測図を作成しておいてほしい」
それまで水深40mより深い場所に潜ったこともなかったので、私は少し不安になった。
水中作業は、安全を期して必ず2人1組で行うことになっている。各人が備えている予備のレギュレーターがもしもの時のバックアップになるからだ。それに、一般的には水深10m以下の場所では、ダイビングの機材に不備があったとしても水面まで浮上できる可能性も高く、基本的に命の危険はない。水深30mでも、急浮上したら潜水病になる危険性はあるが、死ぬということはない。
しかし、水深40mよりも深い場所で何か起き、しかもその時にパートナーが近くにいない場合、完全に「アウト」だ。なので、水深40m以上の場所で作業を行うと言われると、改めて「自分の仕事は命がけなんだ」と再認識させられた。
まず初めに行ったのは水深45m地点の沈没船遺跡である。正直、少し緊張したのをよく覚えている。
「怖いな」
太陽の光がまだ明るく差す水面付近からは海底は見えない。透き通った水の奥に見えるのはただただ「漆黒」だ。それが水深25m地点まで潜ると、少しずつ周りも暗くなり目が慣れてくる。更に潜水すると、光が十分に届かないので、紺碧の暗闇の中にいるような気持になる。その中から、徐々に沈没船が現れてくる。深い蒼の世界から遺跡がボヤーッと浮き上がってくる感覚だ。
周辺が暗いため、カメラに取り付けてある水中ライトを点ける。
すると美しい世界が目の前に突然現れた!
綺麗に積み重なっているアンフォラと海底はライトの光に照らされ驚くほど白く、その光が私の周りの蒼を一層濃くした。アンフォラには濃い黒色、オレンジ色、赤色の海綿(スポンジ)が張り付いて生きている。まるで油絵の具で塗りたくったみたいだ。
海底がこんなにカラフルだとは! 初めての世界に感動した。
続いて水深60mの遺跡にも潜ることになった。水深50mより深い場所は、それより浅い場所とは違う世界だ。「吸い込まれるのでは」と錯覚しそうなくらいの暗闇だ。目が慣れてくると、闇のようだった黒い蒼が、徐々に紫のような、紺碧のような、何とも表現が難しいが美しい色に変わる。まるで自分自身もその中に溶け込んでしまったような感覚に陥る。本当にそれほど濃い蒼なのだ。なんて美しい世界だ!!!
この水深60mが、私にとって最も深い場所での作業になった。沈没船の美しさと、自分も蒼の一部になったような感覚は今でもはっきりと覚えている。
※山舩晃太郎著『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』から一部を抜粋、再構成。