「涙を流す昭恵夫人を見つめて…」 櫻井よしこが明かす安倍元総理の知られざる素顔
日本の濡れ衣を晴らした
その結果、済州島で慰安婦狩りをしたと証言した吉田清治氏、それを紹介した朝日新聞の記事、女子挺身隊を慰安婦にしたという朝日の大々的報道のいずれも、「まったくのでっちあげであることが解りました」と、97年という早い時期に明言している。朝日新聞が慰安婦報道の間違いを認めて一連の記事を取り消したのはそれから17年後の2014年である。
一連のことを振り返りながら、先の安倍氏の言葉は、「私たちは共に戦う同志ですよ」という意味ではないかと思い始めた。そんな解釈はおこがましいかもしれないが、横田滋さん、有本嘉代子さん、飯塚繁雄さん、そして西岡さんや阿比留瑠比さんらが共に戦ってきた同志であるように、私もそうなのだと、安倍総理が言って下さったような気がしたのだ。
安倍総理は戦略的に戦う人だ。まず、目標を設定する。仲間を増やす。共に学んで力をつける。その上で目標達成の具体的行動に出る。その決断と行動は鮮やかと言うより他ない。朝日のウソを暴き日本の濡れ衣を晴らした第一人者は安倍総理だったのだ。
安倍総理の戦いは熾烈(しれつ)だったが、そこには強い意志の力が生み出す楽観主義があった。悲観せず、絶対に諦めない。明治産業革命遺産のユネスコ世界遺産への登録がその一例だ。戦前・戦中に日本に移住した朝鮮半島の労働者が強制労働をさせられたと韓国は言う。三井鉱山や日本製鉄などの日本企業は当時、世界に恥じることのない雇用契約を結んでおり、日本人も朝鮮人も同じ待遇だった。強制労働とは無縁だった。
にもかかわらず外務省は韓国側の圧力に屈して「強制労働」を意味する「forced to work」という言葉を受け入れてしまった。
同志としての誓い
この問題に17年間も取り組み、ユネスコ登録を担当していた加藤康子氏は失望して安倍総理に電話をかけた。すると総理は言ったそうだ。「これから情報発信していこう」と。
一敗地に塗(まみ)れてもそれで終わりではない。情報発信して取り戻す。政治家は言論人とは違って結果を出さなければならないが、その結果は完璧ではないかもしれない。ならば挽回する。大事なことは前進を続けることだと安倍氏は言っているのだ。
言論人の私は総理に無茶な要求をしがちだった。現職総理として靖国神社参拝をなさった13年12月、総理に心からお礼を言ったが、同時に春夏秋冬参拝するのがよいと言った。総理は「任期中、一度の参拝で心は通じる」との考えを示した。
総理を辞してから、幾度も参拝する安倍氏を見て、国際社会の、とりわけ米国の壁の厚さ、即ち激しい反対に思いを致さなかった自分を省みている。そして思う。各々異なる手法ではあっても、日本国の未来のために戦い続けること。それが、戦い続けた安倍総理への、同志としての誓いである、と。
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